2006年10月27日 (金)

『ベルリン・天使の詩』

ブログで知り合った方がオススメしてくださったヴィム・ヴェンダース監督の映画。

見終わった後、すごく心地よかった。優しい気持ちになれた。

“天使って何だろう”

素朴に感じた。何かわからないけど、天使を心の一部で持っていたいと思った。

戦争の悲惨さを訴える図書館の老人、ブランコ乗りの女・マリオン、事故死寸前の男、飛び降り自殺しようとする男、刑事コロンボ(ピーター・フォーク)…

すべての人に対する眼差しが優しい。映画全体に流れる美しい情景描写とフィットしている。

マリオンの言葉が心に残った。

「よくない時よ。私が私のことを話すのは」

「人生折に身をかがめるのは平気。眼差しさえ同じなら。でも、サーカスなしでは寂しい」

「寂しさって自分をまるごと感じることだから」

そうなんだよなあ、と思った。

うまくいっているときには気づかないことがたくさんある。そして、気づいたとき、人間でいることの重さを感じるのかもしれない。

天使から人間になったダミエルも言っている。

「永劫の時に漂うよりも自分の重さを感じたい」

「僕は今知っている。いかなる天使も知らないことを」

同じヴェンダース作の「パリ、テキサス」では、男女のやり取りから、人のキョリを考えさせられた。柔らかな情景描写は同じ。だけど、ちょっと違う。うまく表現できないけど、『ベルリン・天使の詩』からは強いメッセージが感じられた。

たとえば、映像。天使の姿は大人には見えないけど、子どもには見える。天使が人間になると(自分の重さを知ると?)、モノクロからカラーになる。

もしかしたら、東西を分断するベルリンの壁の存在が影響しているのかもしれない。

天使とは?この映画のメッセージとは?自分なりの答えを持ってらっしゃる方、よろしければ、コメントください☆

観られていない方はぜひぜひ。オススメですよ~

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2006年10月26日 (木)

『CLOSER(クローサー)』~メルボルンの記憶を振り返りながら

3年ほど前、メルボルンにあるオーストラリア最大のカジノ“CROWN”に行った際、観ていた。少しでも「いいなあ」と思うところがあると、パンフレットを買ってしまう俺。メルボルンにはそういう習慣がなかったのを思い出す。映画のパンフは日本やアメリカだけのものなのだろうか。

英語のできない俺にとって、字幕付きでみることは大きな楽しみだった。

「どう感じるか」

結論からいうと、そう変わらなかった。ただ、詳細がわかることにより、男の側に寄り添った見方をすることができたかもしれない。メルボルンでは、アリス役のナタリー・ポートマンに酔いしれていた。

交錯する四人の男女の思い。

アリス、ダン、アンナ、ラリーの微妙な心の動きがうまく描かれている。

職業が同じであるため、ダン役のジュード・ロウに自分を投影したのは自然だったのかもしれない。非常に胸が痛かった。惚れた女の全てを知りたがる男のサガを見た気がした。

「真実」を知るべく働くジャーナリスト。仕事でそれを体現できないからだろうか、「真実」をアンナ(ジュリア・ロバーツ)やアリス(ナタリー・ポートマン)に対しても求めてしまった。

アンナは、ダンに恋していた。しかし、医者のラリー(クライブ・オーウェン)と結婚する。常に、「安全」を選ぶ彼女を象徴していたと思う。また、ラリーの心が離れたと感じると、ダンと関係を持った。

「嘘をつきたくない」という彼女の言葉は、正直な強い女性を思わせるけど、実際の行動は、……

ジュリア・ロバーツは自分の役・アンナを振り返る。

「一番ひどいことをした私でも、彼女に比べれば素人のようなものだわ。彼女はとてもずるい。でも計算されたずるさではないと思うの」

対照的なのが、アリス。

自分の気持ちに正直に、真っ直ぐに行動する。その美しさが、新聞社でくすぶっているダンの心に火を付けたのではないか。また、愛されない医者・ラリー(クライブ・オーウェン)も惹きつける。

好きな男の前では、いい女でいたい”と思う。それを体全体で表していた気がする。

だって、愛するダンの前では偽名を、ラリーの前では本名を告げていたんだもん。ストリッパーという職業に就いていたことも、何となくわかる気がする。

当時、ジュリア・ロバーツが好きだった俺でも、ナタリー・ポートマンに惚れちゃた…

ダンとラリーに共通するのは、“惚れた女の全てを知りたがる”ところ。そこに相手の都合は入っていない。外からは身勝手と思われるだろう。ダンとラリーの汚い男同士の争いにも見える。

ただ一つ、忘れないでおきたい。彼らが女を詮索するのは、本当に相手を愛していたからだということを。

僕たち、儒教圏の人間に受け入れにくい映画かもしれません。でも、偽善がない世界を感じられる素敵な映画だと思います。ぜひ一度、ご覧ください☆

公式HPはココをクリック♪

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2006年9月26日 (火)

『パリ、テキサス』~人とのキョリを思う

マジックミラーを通しての男女のやりとりに、胸をつまらせた。トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)、ジェーン(ナターシャ・キンスキー)ともに、相手の顔を見ると、言葉を発せなくなってしまう。

冷静さを失う。心の底から相手を愛するがゆえの反応。この映画に心奪われた人は、2人から自分の過去を映し出したんじゃないだろうか。

人とキョリをとることの難しさ、社会生活での必要性を描いていた。登場人物すべての心の動きを、うまく描写している素晴らしい映画だった。また、映画全体に広がる景色や空気が美しかった。

4年間、姿を消していたトラヴィス。映画が始まってからの20分ほど、彼は口を開かない。

「彼に何があったのか」

俺の興味は、そこに注がれた。

同じ問いをトラヴィスに投げかける弟のウォルト。4年ぶりに再会し、ともに生活するようになっていた。その詰問後、トラヴィスは妻ジェーンを探す旅に出ることになる。

そして、2人の再会。マジックミラーごしのジェーンに見て、涙するトラヴィス。彼は、水商売をする彼女に対し、すぐさま詮索する。俺の興味は、彼の過去から二人のやりとりに完全に移っていた。二人の微妙なキョリに惹きつけられていた。もしかしたら、トラヴィスの心の動きに自らの過去を重ねていたのかも…

男と女はもちろん、この映画は多くの人間関係を描いている。父と子、兄と弟、兄と義妹、養母と子、養父と子、そして最後に母と子。そこで問題となってくるのが、

人とのキョリ

今年の初め、沖縄の離島で「ゆんたく」をしたときにも、話題になった。10人弱の40歳前後の男女とテーブルを囲んだ。俳優兼映画監督、女優、医者、看護婦、鉄道会社員、派遣会社員、洋服屋さん、サーファー…

若い、経験の乏しい俺は、いじられ放題。でも、彼らの言葉は心地よかった。刺激的な楽しい時間だった。

「私たちおばさんとうまくコミュニケーションがとれるようになれば、円滑な人間関係を築けるわよ」「上司はだますもの。疲れたフリして、うまく余力を残さなきゃ」「詮索すべきは女でなく、上司や仕事相手」

アドバイスをくれるみんなが、若いころ不器用だった(たぶん今も器用ではないはず)のがよくわかった。自らの失敗からの気遣いが心にしみた。

トラヴィス(男)とジェーン(女)は二度、ミラー越しでやりとりする。

女から男は見えない。男は「知り合いのこと」と前置きし、二人の過去を振り返る。

“トレーラー”というキーワードに、女は話し相手がトラヴィスだと気づき始める。もしかしたら、1度目のやりとりのときに感じていたのかもしれない。だって、店の外で会おうとする男を避けずに、最後まで話を聞いていたから。2度目のやりとりを始めてすぐ、「あなた、前にも来てたわね」と言い当てたから。

お互いを愛しすぎているがために、破綻した二人。一緒にいると、互いを傷つけ合ってしまう。再会して、4年前のそのキョリが、今も続いていることがわかってしまった。

子どもが成長した今、同じ過ち(?)を繰り返せないと考える男の判断は痛々しかった。

“I used to talk to you all the time.”

“Every man has your voice”

女の言葉を聴いて、男はどんな感情を抱いたのだろう。

彼を理解するには、あと十数年は必要かなあ。

その十数年後に観たら、どんな感想を抱くんだろう。

久しぶりに、「やられた」映画でした。

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2006年9月21日 (木)

『母たちの村』~アフリカにおける「女性性器切除」という慣習から~

Dsc_1270_1今日は、昨日上映会に参加した、第57回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ受賞作のセネガル・フランス合作映画『母たちの村』を取り上げます。

「女性割礼」という言葉をご存知ですか?
アフリカに古くから伝わる儀式で、(少女時代に)女性性器を一部切除、縫合するものです。激しい苦痛と感染症、切除後の癒着などによる障害の発生、結婚や出産、性行為時に苦痛や危険をともなうため、問題とされています。     

         

人間としての尊厳を無視していると思われる慣習。それが根強く残っているという事実を知り、自身の無知を感じた。

 しかも、ソマリア、スーダン、ケニアを中心に30カ国で、年200万人もの女性が受忍しているとのこと。驚かずにはいられなかった。

 胸が痛くなったというのが素直な感想。休憩時、タバコを吸わずにはいられなか

った。

 映像を目にした瞬間は、「ひどい。理不尽だ」と反応したが、ストーリーが進む

中、ある思いが頭を離れなかった。

 「どうすれば、この慣習の理不尽さを当事者に伝えられるのか。また、

 どれくらいの当事者(女性側)がこの『女性割礼』廃絶を求めているのか」

女性のからだを傷つける良くない行為であることは間違いないけれど、外部の人間が「悪しき慣習」とレッテルを貼ることが解決につながるのか。

 もし、私たち外部の人間の力によって「悪しき慣習」を排除できたとしても、村

住む女性たちのリスクを消すことができるのか。

  村の男女全員に納得してもらわないと、村八分やコミュニティからの脱出(移住

?)を余儀なくされてしまうんじゃないか。

 やはり、慣習は村出身の人(アフリカに住む人)が変えていくのが、ベストなのかなあ。男性による訴えであれば、よりよいのかなあ。

 などなど思いをめぐらした。

 

 「女性割礼」というアフリカに伝わる儀礼を通して、さまざまな問題提起が

ている作品だった。

 

一方で、アフリカ女性の力強さと優しさ、そして豊かなアフリカのコミュニケーションが色鮮やかに描かれていた。微笑ましかった。

 

 上映後の対談会で、「アフリカの監督がアフリカの人に向けて」メッセージを送り、彼ら彼女らの教育を啓蒙している映画、との説明があった。

 けど、監督のメッセージはアフリカだけでなく、世界中に対してのものと感じた   

。 

日本の社会にも同じような問題(男尊女卑、家父長制、封建制度…。もちろんこれらの制度を否定してるわけではありません)が残っていて、それを解決するヒントがこの作品にあるんじゃないかなあと。

※僕はジェンダー、アフリカの問題について全くの素人ですので、間違いなどあるかもれ  

 ません。気軽に指摘&コメントください。

 いい映画だったので、紹介しました。

 ストーリーなどは公式HPをご覧ください。

 これから日本各地の映画館で上映されると思います。

 大阪:OS名画座(06-6311-2478)で、9月23日ロードショー

 

 

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2006年9月14日 (木)

『チャーリーとチョコレート工場』

ジョニー・デップ扮するチョコレート会社社長、ウィリー・ウォンカの人生、そしてウィリーの工場に招待された子どもたちとその親を通して、親子の“愛情”“きずな”を描いた映画だった。また、そのテーマの下、“効率化”に対する強烈な批判も感じた。

招かれたのは、強欲な少年、何でも欲しがる少女、一番になることにのみ価値を見出す少女、データから分析することのみを強いる世界(バーチャル世界?)に住む少年、そしてチャーリーの5人。

チャーリー以外の4人は、ウォンカの用意したトラップ(?)に引っかかる。そのたびに登場する「ウンパ・ルンパ」というジャングルに住む民族(?)は愛らしいんだけど、それよりも気になったことがある。                

どの子どもの親も、息子・娘の身を案じ、誰よりも早く反応する。そう、子どもを愛しているのだ。ただ、その形が歪んでいるだけ。

ウォンカ父の愛情が好例だ。度を超えたため、ウィリーの心に深い傷を残すことになる。でも、ルックスとは裏腹にウィリーは常識人に成長している。

「TVは一方通行。根本的に電話とは違う」との発言。クルミからナッツを無傷で取り出すためのリス利用、熱帯を故郷とする工員のウンパ・ルンパに配慮した温度設定、職場をファンタジーの世界に創りあげる遊び心。効率や営利だけを追求し続けていてはできないことばかり。彼の行動には、父から受けた愛情が影響していると思えて仕方ない。

チャーリーの言葉が心にのこる。                      

                                     

「理屈ぬきで楽しいのがチョコさ」                     

                      

チョコレートって何なんでしょうね?

☆公式ホームページへはココをクリック

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2006年9月 3日 (日)

『ホテルビーナス』

いい映画だったので、今日は、ちょっとシリアスに書きまーす。音楽・情景・人間模様が美しかったですよー。

「ここではお互いをどうでもいい名前で呼び合う。名前に意味があったり、希望が込められたりすると、人はその“名前”のせいで絶望するから」ホテルビーナスを説明する草彅剛のナレーションの一節。これが頭を離れなかった。

ここでいう“名前”というのは、職業・社会的立場・境遇・性格などを的確に表現したものだと思う。だから、きちんと意味がある。確かに、過去にばかり捉われていたら、絶望の種になるかもしれない。

俺が入居したら「ジャーナリスト」って呼ばれるのかなあ。そうなったら、どう感じるんだろう。「ドクター」(香川照之)同様、つらいと思う、きっと。

だって、ホテルビーナスには心に傷を負ったワケありの人が集まるのだから。

チョナン(草彅剛)、ビーナス、ドクター、ワイフ(中谷美紀)、ガイ、サイ、ソーダ、ボウイ、ダスター。映画を観た人は、ホテル滞在人のいずれかに自分を重ねたのではないか。いや、監督が重ね合わせられるように、いろんな世代・境遇の人を用意した気がする。

ここの滞在者は、社会的強者(警官)からクズ呼ばわりされる。その言葉に抗うチョナン、ワイフたちの姿に、とあるルポの一節を思い出した。ライターである筆者が、日雇い労働者が住む町“釜ヶ崎”(大阪市西成区)で生活したときの感想:「たとえ相手が警官であっても労働者であっても、自分の尊厳を侵すものにたいして、自分を守り抗議していくこと、そしてはじめて他者の痛みや怒りにもつながりあえることを、私は何よりこの街で学ばされた」(「ホームレス」襲撃事件 北村年子著)。

過去を受け止め、そこから新たな一歩を踏み出すことの大切さ。これがこの映画のメッセージのはず!困難を乗り越えてきた人にしかできないことがある。そう、市村正親扮するホテルのオーナー(「ビーナス」)が「背中に背負ったものが重い人ほど、いずれビーナスの羽が生えてきて、高く飛べるんだよ」と言っているように。

つけたし:靴に注目したカメラアングルも面白かったですよー。

今後、今まで観た映画についても書いてみようと思ってます!

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