2007年4月12日 (木)

オーストラリアの水不足とコミュニケーション~報道ステーションから

何日前だっただろうか、メルボルンの中心を流れるヤラ川上流で、古館伊知郎が取材していた。川の水は激減。以前、ヨットレースが行われていた湖はその様相を完全に変えていた。単なる干からびた土地。

ショックだった…

オーストラリアビクトリア州にあるメルボルン。2年ほど前、約2カ月間、ホームステイで滞在した土地だ。

ヤラ川は、街の中心部を流れ、時間があると河畔で読書していた場所。

無料でバーべキューが出来る施設もあるし、川沿いにロッドラバー・アリーナがある。

そう、毎年、テニスの全豪オープンが行われ、先日、世界水泳2007(北島康介が金メダルを獲得した)が行われた場所だ。

川の雰囲気は、フランス・パリのセーヌ川に似ている。セーヌ川では、橋の欄干にまたがって本を読んでいた。かの有名なポンヌフ橋か芸術橋だったろうか。ヤラ川での読書はそのときと同じ気分になれた。

Marinerstwilly30oct04003_1メルボルンで忘れられない出来事がある。ホームステイ先(=写真)でバスタブに水を張っていたときのことだ。日本で風呂に入るのは当たり前。でも、オーストラリアでは違う!!

デンマーク人のステイメイトは、激しく怒った。

「オーストラリアには、充分な水がないの。私の故郷もそう。山がない国は世界に多いのよ。恵まれた自然を持つのに、なぜ、あなたたち日本人は無駄遣いばかりするの」

18歳の少女の言葉は胸に突き刺さった。俺を含めた日本人の身勝手さ、環境への意識の低さ、ひいては心の未成熟を知った。

20代後半の新聞記者が、高校卒業したての女の子に説教される状況は日本では考えにくい。目からうろこの言葉、貴重な体験だった。

環境教育を日本の学校はもっと行わないと。大人の人は、まず、チーム・マイナス6%から。

そして、年齢の別なく対話・議論できる場所をもっと持ちましょうよ☆

先日、デンマークの少女からメールがあった。2年ぶりだった。忙しい日々の中、連絡を取っていなかったけど、すぐに想い出はよみがえった。

しっかり話し合えば、違う文化・年齢の人でもわかりあえる。僕たちの友情は、議論の日々からうまれたのだから。その発端が、環境問題だったことを報道ステーションが教えてくれた。

世界遺産である「那智の滝の写真をプレゼントしたときの彼女の笑顔が忘れられない。

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2006年11月 7日 (火)

『僕の歩く道』

ずっと観たかったドラマ。先週、初めてテレビに向かう時間を持てた。

自閉症という脳の機能障害を持っている男性・大竹輝明を、草彅剛は見事に演じていた。

動物園での飼育係の仕事帰り、松田都古(香里奈)と輝明は、屋台でやきいもを買う。

二人は、ベンチに座ってやきいもを食べようとしたんだけど…

輝明は、都古に気が回らない。やきいもを買うときは自分の分だけ、ベンチに座るときは自分の座る場所の落ち葉だけ掃除する。普通なら、気分を悪くするところを、幼なじみの都古は、優しい目でみていた。

学生時代、喫茶店でアルバイトをしていたときのことだ。

常連のお客さんに自閉症の方がいた。テーブルで、新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりする仕草は、健常者そのものだった。ただ、料金を支払いにレジに来ると、よく混乱された。小銭入れから硬貨全部を出してもらって、そこから料金分だけいただいたり、ヨーロッパのカフェと同じように、テーブルに料金を置いてもらったりしていた。彼は、人と接するのが苦手だった。

先日、「広島国際平和会議2006」に出席したときには、強い違和感を覚えたトピックが。

ダライ・ラマ14世(中国共産党軍の侵攻などにより、悪化し続けていたチベット情勢を打開すべく、チベット全土をアジア内陸部における平和の聖域とする「非暴力地帯」の構想を発表。1989年にノーベル平和賞を受賞)の講演のときのことだ。

「自我ばかりではなく、他人の立場に立つ必要がある」と、彼はおっしゃっていた。その中で「今の日本の若者の多くは、部屋の中に一日中こもっていると聞く。いわゆる『引きこもり』もっと外に出よう。」というメッセージを、英語で話された。

しかし、通訳の女性は、いわゆる『自閉症』と訳された。

世間一般に、誤解やステレオタイプが広がっているんだなあ、と肌で感じた。

『自閉症』は、は空間認知力や視覚認知・言語能力の発達が遅滞する脳の発達障害の一種で、先天的なもの。LD(学習障害)やADHD(多動性障害)、アスペルガー症候群を含めると、3%以上の人がこの種の障害を持っている。小学校の1クラスに、1、2人いることになるんだよなあ。

色んな困難や病気に直面して(後天的に)起こる「引きこもり」や「うつ」と違うことをみんなが理解しなければならないと感じる。

エジソンやアインシュタイン、ゴッホ、織田信長など過去の偉人もADHDだったのではないか、と言われている。自閉症の人は、ユニークな能力を持っていて、後世に欠かせない素晴らしい業績を残す可能性を持っている。

ドラマの中でも描かれている。輝明は、ツール・ド・フランスの歴代優勝者を全員覚えていたし。

いつものように、仕事帰りに輝明と都古がベンチに座っていると、雨が降ってきた。別れた恋人(葛山信吾)からの電話が鳴り続け、こらえきれず、都古は雨に打たれながら泣き出した。輝明はそっと自分の傘に都古を入れた。何かを感じたんだろう。観ていて、すごくうれしかった☆

都古や輝明の母(長山藍子)のような人が増えればいいなあ。描き方を見ていると、このドラマが輝明を温かく見守っているのがよくわかる。きっと、俺を含め、みんなが「自閉症」を理解する、そして温かい心を持つきっかけになるよ。今晩の放送が楽しみ♪

公式HPは、ココをクリック♪

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2006年10月28日 (土)

北朝鮮の核問題について~2006年度ノーベル平和賞受賞候補者との話

2006年ノーベル平和賞が10月13日に発表されました。受賞されたのは、ムハマド・ユヌスさんと、貧困層を対象とした少額無担保融資を行うバングラデシュのグラミン銀行。
社会や経済の発展のために行った草の根の活動が評価されてのものでした。

ヨハン・ガルトゥングさんという方をご存知ですか?

今年度の受賞候補の一人です。

ノーベル平和賞(他のノーベル賞の授賞式はスウェーデン・ストックホルム)の授賞式があるノルウェーの出身で、前のオスロ国際平和研究所所長。

国連機関を中心に国際紛争解決に向けたコンサルタントの仕事もなさっています。

先日、来日された際、運良く酒を飲み交わす機会を持てたので、彼の話を書きます。

講演会にも参加したので、それもふまえて。

講演会のお題は「もう一つの東アジア共同体を求めて」

6カ国の目的と日本のとるべき道を示された。

(※僕のコメントは青色にします)

<北朝鮮>

アメリカと平和条約を結ぶこと(理由:国際社会の一員と認められたい)

<アメリカ>

①米国に友好的な態度をとらない国に核保有させたくない

②北朝鮮の政権が崩壊すること

③降伏しなかった国とは平和な関係を持てない、持ちたくない

 ←降伏した国は取り入れるが、朝鮮戦争で降伏しなかった北朝鮮は取り入れられない

<日本>

政府内では、二つの考えがあると話された。

1)今後もアメリカに従属して生きていく

2)1)+独自の核兵器を持ちたい

彼は、この2点で議論されることはないだろうと話す。理由は、日本には独立したメディアがないから、らしい…

<韓国>

2つの大きなジレンマがある。

1)2国家1民族との考え方から、韓民族は殺し合いをしない。

2)現状、北朝鮮の領空を米国でなく、韓国が支配しようとしている。

→北朝鮮が核兵器を使うのならば、相手(敵)は米国

<中国>

世界の賢者として知恵を授けたい。

→北朝鮮の行為は賢明ではない。目的は理解できるが、方法は理解できない

 その結果、国連憲章7章(軍事的制裁措置を採ることも可能)を盛り込んだ決議を安全保障理事会で採択した

<ロシア>

大国としてポーズは示しておきたい。

安全保障理事会その他の場で、中身のある発言はしていない

【最重要】世界各国の連携(共同体)の現状

1、EU

2、アフリカ共同体

3、南アジア共同体

4、ASEAN(東南アジア諸国連合)

共同体作りが進んでいるもの

☆ラテンアメリカ共同体

☆イスラム圏の共同体 カサブランカ(北アフリカにあるモロッコの都市)からミンダナオ島(フィリピンで2番目に大きい島)までの広範囲

☆ロシアと周辺諸国

<共同体に属していない国>

米、英、イスラエル、オーストリア(いずれも神[キリスト教]と直接の関係にある国)、

そして、日本

この事実には驚かされた。北朝鮮の問題とは別に、近隣諸国と友好関係を結ばなければならない。以前からわかっていたことだけど、切迫しているのがよくわかった。

 ここ十数年の行動から、政府はアジア諸国と友好関係を結ぶことを最重要視していない。なので、個人個人が身近なところから行っていくしかないと感じた。

友人を作って会話したり、政府の言動を注視したり。

●では、北朝鮮の脅威に対して、日本はどうすべきか?

3つの提案をなされた。

①アメリカと北朝鮮とが話し合う場をセッティングする

②インドから学ぶべき

 イスラム過激派による列車爆破事件(2006年10月28日7月11日)に対して報復行為に出なかった。インドはパキスタンに侵攻しなかった。

③参加するみんなが利益を得られるようなベストの東アジア共同体を提案する

 今の日本政府のやり方では、サモア・ベトナム・フィリピン・韓国・太平洋諸島の小さな国々としか連携できないだろう。つまりは、大東亜共栄圏的なものでしかないということ。

ガルトゥングさんが英語で話されたことをそのまま日本語で記しました。

賛否両論あるかと思います。ただ、僕を含めて、事実を知った上で考えないといけないなあと思い、書きました。旅先でいつも感じるのですが、知らされていないこと、教わっていないことって多いんですよね。

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2006年9月26日 (火)

『パリ、テキサス』~人とのキョリを思う

マジックミラーを通しての男女のやりとりに、胸をつまらせた。トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)、ジェーン(ナターシャ・キンスキー)ともに、相手の顔を見ると、言葉を発せなくなってしまう。

冷静さを失う。心の底から相手を愛するがゆえの反応。この映画に心奪われた人は、2人から自分の過去を映し出したんじゃないだろうか。

人とキョリをとることの難しさ、社会生活での必要性を描いていた。登場人物すべての心の動きを、うまく描写している素晴らしい映画だった。また、映画全体に広がる景色や空気が美しかった。

4年間、姿を消していたトラヴィス。映画が始まってからの20分ほど、彼は口を開かない。

「彼に何があったのか」

俺の興味は、そこに注がれた。

同じ問いをトラヴィスに投げかける弟のウォルト。4年ぶりに再会し、ともに生活するようになっていた。その詰問後、トラヴィスは妻ジェーンを探す旅に出ることになる。

そして、2人の再会。マジックミラーごしのジェーンに見て、涙するトラヴィス。彼は、水商売をする彼女に対し、すぐさま詮索する。俺の興味は、彼の過去から二人のやりとりに完全に移っていた。二人の微妙なキョリに惹きつけられていた。もしかしたら、トラヴィスの心の動きに自らの過去を重ねていたのかも…

男と女はもちろん、この映画は多くの人間関係を描いている。父と子、兄と弟、兄と義妹、養母と子、養父と子、そして最後に母と子。そこで問題となってくるのが、

人とのキョリ

今年の初め、沖縄の離島で「ゆんたく」をしたときにも、話題になった。10人弱の40歳前後の男女とテーブルを囲んだ。俳優兼映画監督、女優、医者、看護婦、鉄道会社員、派遣会社員、洋服屋さん、サーファー…

若い、経験の乏しい俺は、いじられ放題。でも、彼らの言葉は心地よかった。刺激的な楽しい時間だった。

「私たちおばさんとうまくコミュニケーションがとれるようになれば、円滑な人間関係を築けるわよ」「上司はだますもの。疲れたフリして、うまく余力を残さなきゃ」「詮索すべきは女でなく、上司や仕事相手」

アドバイスをくれるみんなが、若いころ不器用だった(たぶん今も器用ではないはず)のがよくわかった。自らの失敗からの気遣いが心にしみた。

トラヴィス(男)とジェーン(女)は二度、ミラー越しでやりとりする。

女から男は見えない。男は「知り合いのこと」と前置きし、二人の過去を振り返る。

“トレーラー”というキーワードに、女は話し相手がトラヴィスだと気づき始める。もしかしたら、1度目のやりとりのときに感じていたのかもしれない。だって、店の外で会おうとする男を避けずに、最後まで話を聞いていたから。2度目のやりとりを始めてすぐ、「あなた、前にも来てたわね」と言い当てたから。

お互いを愛しすぎているがために、破綻した二人。一緒にいると、互いを傷つけ合ってしまう。再会して、4年前のそのキョリが、今も続いていることがわかってしまった。

子どもが成長した今、同じ過ち(?)を繰り返せないと考える男の判断は痛々しかった。

“I used to talk to you all the time.”

“Every man has your voice”

女の言葉を聴いて、男はどんな感情を抱いたのだろう。

彼を理解するには、あと十数年は必要かなあ。

その十数年後に観たら、どんな感想を抱くんだろう。

久しぶりに、「やられた」映画でした。

☆詳しい情報は、ココをクリック

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2006年9月21日 (木)

『母たちの村』~アフリカにおける「女性性器切除」という慣習から~

Dsc_1270_1今日は、昨日上映会に参加した、第57回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ受賞作のセネガル・フランス合作映画『母たちの村』を取り上げます。

「女性割礼」という言葉をご存知ですか?
アフリカに古くから伝わる儀式で、(少女時代に)女性性器を一部切除、縫合するものです。激しい苦痛と感染症、切除後の癒着などによる障害の発生、結婚や出産、性行為時に苦痛や危険をともなうため、問題とされています。     

         

人間としての尊厳を無視していると思われる慣習。それが根強く残っているという事実を知り、自身の無知を感じた。

 しかも、ソマリア、スーダン、ケニアを中心に30カ国で、年200万人もの女性が受忍しているとのこと。驚かずにはいられなかった。

 胸が痛くなったというのが素直な感想。休憩時、タバコを吸わずにはいられなか

った。

 映像を目にした瞬間は、「ひどい。理不尽だ」と反応したが、ストーリーが進む

中、ある思いが頭を離れなかった。

 「どうすれば、この慣習の理不尽さを当事者に伝えられるのか。また、

 どれくらいの当事者(女性側)がこの『女性割礼』廃絶を求めているのか」

女性のからだを傷つける良くない行為であることは間違いないけれど、外部の人間が「悪しき慣習」とレッテルを貼ることが解決につながるのか。

 もし、私たち外部の人間の力によって「悪しき慣習」を排除できたとしても、村

住む女性たちのリスクを消すことができるのか。

  村の男女全員に納得してもらわないと、村八分やコミュニティからの脱出(移住

?)を余儀なくされてしまうんじゃないか。

 やはり、慣習は村出身の人(アフリカに住む人)が変えていくのが、ベストなのかなあ。男性による訴えであれば、よりよいのかなあ。

 などなど思いをめぐらした。

 

 「女性割礼」というアフリカに伝わる儀礼を通して、さまざまな問題提起が

ている作品だった。

 

一方で、アフリカ女性の力強さと優しさ、そして豊かなアフリカのコミュニケーションが色鮮やかに描かれていた。微笑ましかった。

 

 上映後の対談会で、「アフリカの監督がアフリカの人に向けて」メッセージを送り、彼ら彼女らの教育を啓蒙している映画、との説明があった。

 けど、監督のメッセージはアフリカだけでなく、世界中に対してのものと感じた   

。 

日本の社会にも同じような問題(男尊女卑、家父長制、封建制度…。もちろんこれらの制度を否定してるわけではありません)が残っていて、それを解決するヒントがこの作品にあるんじゃないかなあと。

※僕はジェンダー、アフリカの問題について全くの素人ですので、間違いなどあるかもれ  

 ません。気軽に指摘&コメントください。

 いい映画だったので、紹介しました。

 ストーリーなどは公式HPをご覧ください。

 これから日本各地の映画館で上映されると思います。

 大阪:OS名画座(06-6311-2478)で、9月23日ロードショー

 

 

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2006年9月14日 (木)

『チャーリーとチョコレート工場』

ジョニー・デップ扮するチョコレート会社社長、ウィリー・ウォンカの人生、そしてウィリーの工場に招待された子どもたちとその親を通して、親子の“愛情”“きずな”を描いた映画だった。また、そのテーマの下、“効率化”に対する強烈な批判も感じた。

招かれたのは、強欲な少年、何でも欲しがる少女、一番になることにのみ価値を見出す少女、データから分析することのみを強いる世界(バーチャル世界?)に住む少年、そしてチャーリーの5人。

チャーリー以外の4人は、ウォンカの用意したトラップ(?)に引っかかる。そのたびに登場する「ウンパ・ルンパ」というジャングルに住む民族(?)は愛らしいんだけど、それよりも気になったことがある。                

どの子どもの親も、息子・娘の身を案じ、誰よりも早く反応する。そう、子どもを愛しているのだ。ただ、その形が歪んでいるだけ。

ウォンカ父の愛情が好例だ。度を超えたため、ウィリーの心に深い傷を残すことになる。でも、ルックスとは裏腹にウィリーは常識人に成長している。

「TVは一方通行。根本的に電話とは違う」との発言。クルミからナッツを無傷で取り出すためのリス利用、熱帯を故郷とする工員のウンパ・ルンパに配慮した温度設定、職場をファンタジーの世界に創りあげる遊び心。効率や営利だけを追求し続けていてはできないことばかり。彼の行動には、父から受けた愛情が影響していると思えて仕方ない。

チャーリーの言葉が心にのこる。                      

                                     

「理屈ぬきで楽しいのがチョコさ」                     

                      

チョコレートって何なんでしょうね?

☆公式ホームページへはココをクリック

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2006年9月 7日 (木)

ジダンの頭突き問題について~カンヌの記憶とともに

サッカーW杯ドイツ大会決勝当日、コート・ダジュール(ニース→アンティーブ→Pict1538 カンヌ)を旅していた。ニースのホテルに4泊滞在した。

カンヌ映画祭のときレッドカーペンが敷かれる“Palais des Festivals et des  Congre”前の広場に着いたのは、試合開始1時間半前のはずだった。

じわじわっと、フランスやイタリアの国旗を持ってる人々が広場のカフェに集まってくる。顔にトリコロールのペイントがある青年に開始時間を聞く。

「8時から。もう始まるよ」とのこと。

えー、マジか!?準決勝と同じく午後9時(仏現地時間)スタートと思っていたのだ。

カフェは満員。早くホテルに戻ってサッカーを観たい!

でも、せっかくカンヌに来たんだから… 

広場の地面には百枚以上の映画監督、俳優の手形がある=写真。大急ぎで、知ってる人のものを探し、自分の手と比べたりしてみた(ゆっくり眺めると感慨深かっただろうなあ)。

いざ、ホテルへ。カンヌ駅に行く途中、ピザ配達屋・ピザを持った人をたくさん見かけた。

 ※イタリアやフランスでは、多数で集まって観戦、という感じじゃないんです。パブリックビューイングもほとんど用意されていません。日本や韓国との違いを感じました。

カンヌ駅の隣にあるビデオ屋のおじさんに途中経過をきく。「アン、ゼロ。ジダン~」。 ジダンがゴールしてフランスが一点リードしてることはわかった。

(カンヌ駅―ニース駅:約30分、けっこう近いのだ。)

 

ホテルに着いたとき、すでに後半が始まっていた。

フロント横のリビングにあるテレビを見ると、1対1。

そして、問題の瞬間がやってくる。ジダンがマテラッツィにヘッドバッド…

アナウンサーが「ウーラララ。ウーラララ」と連呼していたのが忘れられない。以降、哀愁ただよう実況に変わってしまった。フランスを応援していた俺は、言葉を失った。切ない思いで、試合の残りを観た。

頭突きをしたジダンに対する報道が日本と違ったことが思い出される。
TVでは、決勝戦直後、「Merci」とチームを讃え、ジダンの歴史を振り返った。
決勝戦翌日・翌々日の「ル・モンド」や「フィガロ」(新聞)でも、頭突きに関してはそんなに大きく取り上げられていない。
Aujourd'hui en France(今日のフランス)」では、W杯特集のなかでジダンの行為に対する世論調査結果を載せていたが、一面の写真はホテルのバルコニーからメンバーがサポーターに挨拶している様子。ゴシップ紙では、一面に「頭突き」が載っていた。
 
帰国後、某全国紙を見ると、夕刊一面の見出しは「頭突き退場 ジダン終幕」。

翌日の朝刊も、一面だった。
「売れるものを作る」という観点からは当然だけど、テレビを含め、W杯を商品化して、扇動している気がしてならなかった。

ジダンの頭突き”がなかったとしても、W杯ばかりのマスメディアには違和感を覚えた。準優勝のフランスでさえ、決勝戦後にW杯を報じてたTVは2つのチャンネルだけだったんだから。新聞やTVのゴシップ化なのか、大多数の国民の問題なのか…などと考えてしまった。スポーツ好きの俺にはいいけど、興味のない人はどう感じているのだろう。

大会後、ジダンはTVで暴力行為について謝罪した。マテラッツィが母親と姉を揶揄したからあんなことをしてしまったと説明し、世界の子どもたちと子どもたちに関わる人たちに謝った。

その後、FIFA(国際サッカー連盟)が両者から事情聴取し、両者を処分。マテラッツィの挑発は人種差別的なものではないと強調し、やりとりの内容については明らかにしなかった。

そして、一昨日(9月5日)、マテラッツィは挑発発言の内容を明らかにし、謝罪するつもりはないとの立場を示した。

なぜ、時間が経った今、マテラッツィは発言の内容を明らかにしたのだろう。

マテラッツィは、世界一守りが堅いといわれるイタリア代表のDFになるほどの優秀な選手。W杯の決勝戦でも同点ゴールを決めている。彼がイタリア優勝に大きく貢献したことは間違いない。

そして、ジダンは、1998年フランスW杯でチームを初優勝に導いた英雄。

二人とも素晴らしいプレーヤー。この問題は時間が解決すると思っていた。

お互いの心の問題だと思う。FIFAの裁定が下った後、互いに公言してほしくなかった。

ジダンには解説や指導で、マテラッツィにはプレーでアピールしてほしかった。

近い将来、ジダンが解説者として、マテラッツィのプレーを称賛する日が来ればいいなと思う。甘いようだけど、公私混同しないのがプロだと信じているから。


Pict1546 カンヌのクロワゼット通りにあるホテル「カールトン」

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2006年9月 3日 (日)

『ホテルビーナス』

いい映画だったので、今日は、ちょっとシリアスに書きまーす。音楽・情景・人間模様が美しかったですよー。

「ここではお互いをどうでもいい名前で呼び合う。名前に意味があったり、希望が込められたりすると、人はその“名前”のせいで絶望するから」ホテルビーナスを説明する草彅剛のナレーションの一節。これが頭を離れなかった。

ここでいう“名前”というのは、職業・社会的立場・境遇・性格などを的確に表現したものだと思う。だから、きちんと意味がある。確かに、過去にばかり捉われていたら、絶望の種になるかもしれない。

俺が入居したら「ジャーナリスト」って呼ばれるのかなあ。そうなったら、どう感じるんだろう。「ドクター」(香川照之)同様、つらいと思う、きっと。

だって、ホテルビーナスには心に傷を負ったワケありの人が集まるのだから。

チョナン(草彅剛)、ビーナス、ドクター、ワイフ(中谷美紀)、ガイ、サイ、ソーダ、ボウイ、ダスター。映画を観た人は、ホテル滞在人のいずれかに自分を重ねたのではないか。いや、監督が重ね合わせられるように、いろんな世代・境遇の人を用意した気がする。

ここの滞在者は、社会的強者(警官)からクズ呼ばわりされる。その言葉に抗うチョナン、ワイフたちの姿に、とあるルポの一節を思い出した。ライターである筆者が、日雇い労働者が住む町“釜ヶ崎”(大阪市西成区)で生活したときの感想:「たとえ相手が警官であっても労働者であっても、自分の尊厳を侵すものにたいして、自分を守り抗議していくこと、そしてはじめて他者の痛みや怒りにもつながりあえることを、私は何よりこの街で学ばされた」(「ホームレス」襲撃事件 北村年子著)。

過去を受け止め、そこから新たな一歩を踏み出すことの大切さ。これがこの映画のメッセージのはず!困難を乗り越えてきた人にしかできないことがある。そう、市村正親扮するホテルのオーナー(「ビーナス」)が「背中に背負ったものが重い人ほど、いずれビーナスの羽が生えてきて、高く飛べるんだよ」と言っているように。

つけたし:靴に注目したカメラアングルも面白かったですよー。

今後、今まで観た映画についても書いてみようと思ってます!

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