2006年11月28日 (火)

いいぞ!日本男子バレー

現在、日本で行われている世界バレー。日本男子は、24年ぶりのベスト8入りを決め、さらなる飛躍へと挑戦し続けている。その原動力となっているのが、スーパーエースの「山本隆弘」。11月26日のチュニジア戦での彼のプレーを観ていると、ある選手と重なった。

中垣内祐一』。1990年代、日本バレーを支えてきたスーパーエースだ。

昨年、女子バレー・久光製薬スプリングス(落合真理、小山修加、成田郁久美など所属)の取材をした際、監督の真鍋政義さんと話した。

真鍋さんは、新日鉄堺・堺ブレイザーズで、中垣内にトスを上げ続けていた。ご自身は、ソウル五輪、86・90・98年の世界選手権(現世界バレー)に出場なさっている。

「中垣内さんと真鍋さんのコンビは、脳裏に焼きついています。他の日本代表のアタッカーにトスを上げるときと比べて、違いはありましたか」との問いに、彼は答える。

「特に変わりはありませんよ。ただ、ガイチ(中垣内選手のニックネーム)はどんなトスでも決めてくれましたね。僕のミスをよくカバーしてくれましたよ」。

バルセロナオリンピック。

金メダルを期待されていた、中田久美や大林素子をようする女子とは対照的に、男子は予選突破も難しいとみられていた。メンバーには、中垣内の他に、荻野正二(現代表)、植田辰哉(現監督)がいた。

予選リーグで、アメリカ戦敗戦後、審判の誤審に対する日本の抗議が認められ、日本の勝利になったオリンピック。その裁定後、審判への抗議として、アメリカの全選手がスキンヘッドになったのを記憶していらっしゃる方は多いのでは?

当時の中垣内は、本当に凄かった!!

会場から「ガイチ、ガイチ」とコールが起こる。ボールは全て、中垣内に集まる。そして、ことごとくスパイクを決めていた。

決勝トーナメント第一戦、予選をギリギリ通過した日本男子は、優勝候補筆頭のブラジル(たぶん合っていると思います)と対戦した。力の差は歴然。

しかし、苦しいところでガイチがスパイクを決める。二段トスでも、ネットに近いトスでも、背後に浮いているボールでも。

結果、日本男子は6位入賞を果たした。以来、俺は彼のファンになっていた。

そのバルセロナ五輪で、中垣内にトスを上げていたキャプテンの植田辰哉が、今は全日本の監督を務めている。

11月19日のプエルトリコ戦後の監督インタビューで彼は言った。

最後に山本が決めてくれた。それが全てです

そして、「山本には、結果がどうというより、“みんながつないだボールをオレが決める”という覇気を持ってほしい、と口を酸っぱくいってきた」と加えた。

2セット連取され、フルセットの末、大逆転勝利をおさめたチュニジア戦。山本はコート内で暴れまわった。ブロックが何枚付こうが関係ない。相手を見て、ワンタッチを狙ったり、ボールにドライブをかけてコート隅に決めたり、ブロックの間を抜いたり……。

いいトスが上がれば、確実に決めていた。

試合後、男泣きした植田監督は、「厳しい練習を耐えて来た選手たちを誉めてあげて欲しい」を語った。そして、思う。あの涙には、たのもしい選手への感謝が込められていた、と。

きっと、試合中に何度も山本と中垣内が重なったんだろうね。

エース・山本隆弘への期待はふくらむばかり☆

みんなで応援しよう!!

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2006年11月 7日 (火)

『僕の歩く道』

ずっと観たかったドラマ。先週、初めてテレビに向かう時間を持てた。

自閉症という脳の機能障害を持っている男性・大竹輝明を、草彅剛は見事に演じていた。

動物園での飼育係の仕事帰り、松田都古(香里奈)と輝明は、屋台でやきいもを買う。

二人は、ベンチに座ってやきいもを食べようとしたんだけど…

輝明は、都古に気が回らない。やきいもを買うときは自分の分だけ、ベンチに座るときは自分の座る場所の落ち葉だけ掃除する。普通なら、気分を悪くするところを、幼なじみの都古は、優しい目でみていた。

学生時代、喫茶店でアルバイトをしていたときのことだ。

常連のお客さんに自閉症の方がいた。テーブルで、新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりする仕草は、健常者そのものだった。ただ、料金を支払いにレジに来ると、よく混乱された。小銭入れから硬貨全部を出してもらって、そこから料金分だけいただいたり、ヨーロッパのカフェと同じように、テーブルに料金を置いてもらったりしていた。彼は、人と接するのが苦手だった。

先日、「広島国際平和会議2006」に出席したときには、強い違和感を覚えたトピックが。

ダライ・ラマ14世(中国共産党軍の侵攻などにより、悪化し続けていたチベット情勢を打開すべく、チベット全土をアジア内陸部における平和の聖域とする「非暴力地帯」の構想を発表。1989年にノーベル平和賞を受賞)の講演のときのことだ。

「自我ばかりではなく、他人の立場に立つ必要がある」と、彼はおっしゃっていた。その中で「今の日本の若者の多くは、部屋の中に一日中こもっていると聞く。いわゆる『引きこもり』もっと外に出よう。」というメッセージを、英語で話された。

しかし、通訳の女性は、いわゆる『自閉症』と訳された。

世間一般に、誤解やステレオタイプが広がっているんだなあ、と肌で感じた。

『自閉症』は、は空間認知力や視覚認知・言語能力の発達が遅滞する脳の発達障害の一種で、先天的なもの。LD(学習障害)やADHD(多動性障害)、アスペルガー症候群を含めると、3%以上の人がこの種の障害を持っている。小学校の1クラスに、1、2人いることになるんだよなあ。

色んな困難や病気に直面して(後天的に)起こる「引きこもり」や「うつ」と違うことをみんなが理解しなければならないと感じる。

エジソンやアインシュタイン、ゴッホ、織田信長など過去の偉人もADHDだったのではないか、と言われている。自閉症の人は、ユニークな能力を持っていて、後世に欠かせない素晴らしい業績を残す可能性を持っている。

ドラマの中でも描かれている。輝明は、ツール・ド・フランスの歴代優勝者を全員覚えていたし。

いつものように、仕事帰りに輝明と都古がベンチに座っていると、雨が降ってきた。別れた恋人(葛山信吾)からの電話が鳴り続け、こらえきれず、都古は雨に打たれながら泣き出した。輝明はそっと自分の傘に都古を入れた。何かを感じたんだろう。観ていて、すごくうれしかった☆

都古や輝明の母(長山藍子)のような人が増えればいいなあ。描き方を見ていると、このドラマが輝明を温かく見守っているのがよくわかる。きっと、俺を含め、みんなが「自閉症」を理解する、そして温かい心を持つきっかけになるよ。今晩の放送が楽しみ♪

公式HPは、ココをクリック♪

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2006年10月26日 (木)

『CLOSER(クローサー)』~メルボルンの記憶を振り返りながら

3年ほど前、メルボルンにあるオーストラリア最大のカジノ“CROWN”に行った際、観ていた。少しでも「いいなあ」と思うところがあると、パンフレットを買ってしまう俺。メルボルンにはそういう習慣がなかったのを思い出す。映画のパンフは日本やアメリカだけのものなのだろうか。

英語のできない俺にとって、字幕付きでみることは大きな楽しみだった。

「どう感じるか」

結論からいうと、そう変わらなかった。ただ、詳細がわかることにより、男の側に寄り添った見方をすることができたかもしれない。メルボルンでは、アリス役のナタリー・ポートマンに酔いしれていた。

交錯する四人の男女の思い。

アリス、ダン、アンナ、ラリーの微妙な心の動きがうまく描かれている。

職業が同じであるため、ダン役のジュード・ロウに自分を投影したのは自然だったのかもしれない。非常に胸が痛かった。惚れた女の全てを知りたがる男のサガを見た気がした。

「真実」を知るべく働くジャーナリスト。仕事でそれを体現できないからだろうか、「真実」をアンナ(ジュリア・ロバーツ)やアリス(ナタリー・ポートマン)に対しても求めてしまった。

アンナは、ダンに恋していた。しかし、医者のラリー(クライブ・オーウェン)と結婚する。常に、「安全」を選ぶ彼女を象徴していたと思う。また、ラリーの心が離れたと感じると、ダンと関係を持った。

「嘘をつきたくない」という彼女の言葉は、正直な強い女性を思わせるけど、実際の行動は、……

ジュリア・ロバーツは自分の役・アンナを振り返る。

「一番ひどいことをした私でも、彼女に比べれば素人のようなものだわ。彼女はとてもずるい。でも計算されたずるさではないと思うの」

対照的なのが、アリス。

自分の気持ちに正直に、真っ直ぐに行動する。その美しさが、新聞社でくすぶっているダンの心に火を付けたのではないか。また、愛されない医者・ラリー(クライブ・オーウェン)も惹きつける。

好きな男の前では、いい女でいたい”と思う。それを体全体で表していた気がする。

だって、愛するダンの前では偽名を、ラリーの前では本名を告げていたんだもん。ストリッパーという職業に就いていたことも、何となくわかる気がする。

当時、ジュリア・ロバーツが好きだった俺でも、ナタリー・ポートマンに惚れちゃた…

ダンとラリーに共通するのは、“惚れた女の全てを知りたがる”ところ。そこに相手の都合は入っていない。外からは身勝手と思われるだろう。ダンとラリーの汚い男同士の争いにも見える。

ただ一つ、忘れないでおきたい。彼らが女を詮索するのは、本当に相手を愛していたからだということを。

僕たち、儒教圏の人間に受け入れにくい映画かもしれません。でも、偽善がない世界を感じられる素敵な映画だと思います。ぜひ一度、ご覧ください☆

公式HPはココをクリック♪

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2006年9月26日 (火)

『パリ、テキサス』~人とのキョリを思う

マジックミラーを通しての男女のやりとりに、胸をつまらせた。トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)、ジェーン(ナターシャ・キンスキー)ともに、相手の顔を見ると、言葉を発せなくなってしまう。

冷静さを失う。心の底から相手を愛するがゆえの反応。この映画に心奪われた人は、2人から自分の過去を映し出したんじゃないだろうか。

人とキョリをとることの難しさ、社会生活での必要性を描いていた。登場人物すべての心の動きを、うまく描写している素晴らしい映画だった。また、映画全体に広がる景色や空気が美しかった。

4年間、姿を消していたトラヴィス。映画が始まってからの20分ほど、彼は口を開かない。

「彼に何があったのか」

俺の興味は、そこに注がれた。

同じ問いをトラヴィスに投げかける弟のウォルト。4年ぶりに再会し、ともに生活するようになっていた。その詰問後、トラヴィスは妻ジェーンを探す旅に出ることになる。

そして、2人の再会。マジックミラーごしのジェーンに見て、涙するトラヴィス。彼は、水商売をする彼女に対し、すぐさま詮索する。俺の興味は、彼の過去から二人のやりとりに完全に移っていた。二人の微妙なキョリに惹きつけられていた。もしかしたら、トラヴィスの心の動きに自らの過去を重ねていたのかも…

男と女はもちろん、この映画は多くの人間関係を描いている。父と子、兄と弟、兄と義妹、養母と子、養父と子、そして最後に母と子。そこで問題となってくるのが、

人とのキョリ

今年の初め、沖縄の離島で「ゆんたく」をしたときにも、話題になった。10人弱の40歳前後の男女とテーブルを囲んだ。俳優兼映画監督、女優、医者、看護婦、鉄道会社員、派遣会社員、洋服屋さん、サーファー…

若い、経験の乏しい俺は、いじられ放題。でも、彼らの言葉は心地よかった。刺激的な楽しい時間だった。

「私たちおばさんとうまくコミュニケーションがとれるようになれば、円滑な人間関係を築けるわよ」「上司はだますもの。疲れたフリして、うまく余力を残さなきゃ」「詮索すべきは女でなく、上司や仕事相手」

アドバイスをくれるみんなが、若いころ不器用だった(たぶん今も器用ではないはず)のがよくわかった。自らの失敗からの気遣いが心にしみた。

トラヴィス(男)とジェーン(女)は二度、ミラー越しでやりとりする。

女から男は見えない。男は「知り合いのこと」と前置きし、二人の過去を振り返る。

“トレーラー”というキーワードに、女は話し相手がトラヴィスだと気づき始める。もしかしたら、1度目のやりとりのときに感じていたのかもしれない。だって、店の外で会おうとする男を避けずに、最後まで話を聞いていたから。2度目のやりとりを始めてすぐ、「あなた、前にも来てたわね」と言い当てたから。

お互いを愛しすぎているがために、破綻した二人。一緒にいると、互いを傷つけ合ってしまう。再会して、4年前のそのキョリが、今も続いていることがわかってしまった。

子どもが成長した今、同じ過ち(?)を繰り返せないと考える男の判断は痛々しかった。

“I used to talk to you all the time.”

“Every man has your voice”

女の言葉を聴いて、男はどんな感情を抱いたのだろう。

彼を理解するには、あと十数年は必要かなあ。

その十数年後に観たら、どんな感想を抱くんだろう。

久しぶりに、「やられた」映画でした。

☆詳しい情報は、ココをクリック

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2006年9月21日 (木)

『母たちの村』~アフリカにおける「女性性器切除」という慣習から~

Dsc_1270_1今日は、昨日上映会に参加した、第57回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ受賞作のセネガル・フランス合作映画『母たちの村』を取り上げます。

「女性割礼」という言葉をご存知ですか?
アフリカに古くから伝わる儀式で、(少女時代に)女性性器を一部切除、縫合するものです。激しい苦痛と感染症、切除後の癒着などによる障害の発生、結婚や出産、性行為時に苦痛や危険をともなうため、問題とされています。     

         

人間としての尊厳を無視していると思われる慣習。それが根強く残っているという事実を知り、自身の無知を感じた。

 しかも、ソマリア、スーダン、ケニアを中心に30カ国で、年200万人もの女性が受忍しているとのこと。驚かずにはいられなかった。

 胸が痛くなったというのが素直な感想。休憩時、タバコを吸わずにはいられなか

った。

 映像を目にした瞬間は、「ひどい。理不尽だ」と反応したが、ストーリーが進む

中、ある思いが頭を離れなかった。

 「どうすれば、この慣習の理不尽さを当事者に伝えられるのか。また、

 どれくらいの当事者(女性側)がこの『女性割礼』廃絶を求めているのか」

女性のからだを傷つける良くない行為であることは間違いないけれど、外部の人間が「悪しき慣習」とレッテルを貼ることが解決につながるのか。

 もし、私たち外部の人間の力によって「悪しき慣習」を排除できたとしても、村

住む女性たちのリスクを消すことができるのか。

  村の男女全員に納得してもらわないと、村八分やコミュニティからの脱出(移住

?)を余儀なくされてしまうんじゃないか。

 やはり、慣習は村出身の人(アフリカに住む人)が変えていくのが、ベストなのかなあ。男性による訴えであれば、よりよいのかなあ。

 などなど思いをめぐらした。

 

 「女性割礼」というアフリカに伝わる儀礼を通して、さまざまな問題提起が

ている作品だった。

 

一方で、アフリカ女性の力強さと優しさ、そして豊かなアフリカのコミュニケーションが色鮮やかに描かれていた。微笑ましかった。

 

 上映後の対談会で、「アフリカの監督がアフリカの人に向けて」メッセージを送り、彼ら彼女らの教育を啓蒙している映画、との説明があった。

 けど、監督のメッセージはアフリカだけでなく、世界中に対してのものと感じた   

。 

日本の社会にも同じような問題(男尊女卑、家父長制、封建制度…。もちろんこれらの制度を否定してるわけではありません)が残っていて、それを解決するヒントがこの作品にあるんじゃないかなあと。

※僕はジェンダー、アフリカの問題について全くの素人ですので、間違いなどあるかもれ  

 ません。気軽に指摘&コメントください。

 いい映画だったので、紹介しました。

 ストーリーなどは公式HPをご覧ください。

 これから日本各地の映画館で上映されると思います。

 大阪:OS名画座(06-6311-2478)で、9月23日ロードショー

 

 

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2006年9月 4日 (月)

藤川球児

昨年4月、仕事で阪神タイガースを担当する記者の案内の下、甲子園球場を見学した。監督部屋・ベンチ・記者席・グラウンド…。練習場からグラウンドへ通じる通路で話をしていると、数人の選手が通り過ぎていった。ポーカーフェイスを装っていた俺は、幼い頃から阪神ファン。内心興奮していた。

山崎一玄嘉勢敏弘(二人は打撃投手になっていた)、そして藤川球児。彼らは、カゴいっぱいのボールを運んでいた。2往復くらいしてからだろうか、途中で一人の選手があいさつにきた。

 

藤川だった。                                  

 

帽子を取り、「よろしくお願いします」と。

見ず知らずの俺たち(見学者は他にもいた)に対して気を配り、一軍の選手でありながらボールを運ぶという姿勢。苦労を知っている人間の謙虚さを感じた。それは、自信からにじみ出る類のものと思われた。試合開始まで、間近で選手たちの練習を見ていたが、藤川は一軍の選手に見えなかった。それくらい、ひたむきに、熱心に、取り組んでいた。

「もっとリラックスしたらいいのになあ」と見ていたのを思い出す。

この年、稲尾和久らが持っていたシーズン最多登板記録(78試合)を超える史上初の年間80試合登板を果たし、阪神優勝の立役者となる。普段からの地道な努力が身を結んだのだろう。そして、彼の人間性に対して神様が記録をプレゼントしたんじゃないかな。だって、最多登板記録ってチーム状況とか周りの協力に影響されるものだもん。

それと、野球ファンでなくても、「名前しってるよ」って言うくらい有名になった。

今年、オールスターでの清原との勝負に代表されるように、一気に球界のスターになった藤川。周りの注目が集まり、世間やマスコミから無理を「強要」されるようになった。野球選手はグラウンドに出てナンボだから、「行ってくれ(投げてくれ)」と言われて断ることはないだろう。特に、彼の場合は。

先日、ケガから復帰した後のヒーローインタビューで、藤川は言葉を失った。涙を見せた。

2002年9月、初勝利をあげたときには、嗚咽した。苦労を思い出してのココロの涙。でも、今回の涙は違うものに見えた。カラダの涙に思えてしかたがない。

登録抹消されたとき、「今年はもういいよ。来年以降も投げてる姿をみたいから」と思った。

でも、藤川が戻ってきてからのチームの変化を見て、複雑な気持ちになった。

ベンチ、ファンは、藤川の存在を優勝への絶対条件に考えている。そして、優勝をあきらめていない。

満員のファン、野球界を思い、彼は投げるしかないのかもしれない。もしかしたら、今がピークなのかもしれない。

あまりにも厳しい世界。何が正しいかもわからない。でも一つだけ思った。 

打者を抑えた後の球児の顔は最高だ」 

賛否両論あると思います。コメントもらえたら、うれしいです。

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