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2006年10月28日 (土)

北朝鮮の核問題について~2006年度ノーベル平和賞受賞候補者との話

2006年ノーベル平和賞が10月13日に発表されました。受賞されたのは、ムハマド・ユヌスさんと、貧困層を対象とした少額無担保融資を行うバングラデシュのグラミン銀行。
社会や経済の発展のために行った草の根の活動が評価されてのものでした。

ヨハン・ガルトゥングさんという方をご存知ですか?

今年度の受賞候補の一人です。

ノーベル平和賞(他のノーベル賞の授賞式はスウェーデン・ストックホルム)の授賞式があるノルウェーの出身で、前のオスロ国際平和研究所所長。

国連機関を中心に国際紛争解決に向けたコンサルタントの仕事もなさっています。

先日、来日された際、運良く酒を飲み交わす機会を持てたので、彼の話を書きます。

講演会にも参加したので、それもふまえて。

講演会のお題は「もう一つの東アジア共同体を求めて」

6カ国の目的と日本のとるべき道を示された。

(※僕のコメントは青色にします)

<北朝鮮>

アメリカと平和条約を結ぶこと(理由:国際社会の一員と認められたい)

<アメリカ>

①米国に友好的な態度をとらない国に核保有させたくない

②北朝鮮の政権が崩壊すること

③降伏しなかった国とは平和な関係を持てない、持ちたくない

 ←降伏した国は取り入れるが、朝鮮戦争で降伏しなかった北朝鮮は取り入れられない

<日本>

政府内では、二つの考えがあると話された。

1)今後もアメリカに従属して生きていく

2)1)+独自の核兵器を持ちたい

彼は、この2点で議論されることはないだろうと話す。理由は、日本には独立したメディアがないから、らしい…

<韓国>

2つの大きなジレンマがある。

1)2国家1民族との考え方から、韓民族は殺し合いをしない。

2)現状、北朝鮮の領空を米国でなく、韓国が支配しようとしている。

→北朝鮮が核兵器を使うのならば、相手(敵)は米国

<中国>

世界の賢者として知恵を授けたい。

→北朝鮮の行為は賢明ではない。目的は理解できるが、方法は理解できない

 その結果、国連憲章7章(軍事的制裁措置を採ることも可能)を盛り込んだ決議を安全保障理事会で採択した

<ロシア>

大国としてポーズは示しておきたい。

安全保障理事会その他の場で、中身のある発言はしていない

【最重要】世界各国の連携(共同体)の現状

1、EU

2、アフリカ共同体

3、南アジア共同体

4、ASEAN(東南アジア諸国連合)

共同体作りが進んでいるもの

☆ラテンアメリカ共同体

☆イスラム圏の共同体 カサブランカ(北アフリカにあるモロッコの都市)からミンダナオ島(フィリピンで2番目に大きい島)までの広範囲

☆ロシアと周辺諸国

<共同体に属していない国>

米、英、イスラエル、オーストリア(いずれも神[キリスト教]と直接の関係にある国)、

そして、日本

この事実には驚かされた。北朝鮮の問題とは別に、近隣諸国と友好関係を結ばなければならない。以前からわかっていたことだけど、切迫しているのがよくわかった。

 ここ十数年の行動から、政府はアジア諸国と友好関係を結ぶことを最重要視していない。なので、個人個人が身近なところから行っていくしかないと感じた。

友人を作って会話したり、政府の言動を注視したり。

●では、北朝鮮の脅威に対して、日本はどうすべきか?

3つの提案をなされた。

①アメリカと北朝鮮とが話し合う場をセッティングする

②インドから学ぶべき

 イスラム過激派による列車爆破事件(2006年10月28日7月11日)に対して報復行為に出なかった。インドはパキスタンに侵攻しなかった。

③参加するみんなが利益を得られるようなベストの東アジア共同体を提案する

 今の日本政府のやり方では、サモア・ベトナム・フィリピン・韓国・太平洋諸島の小さな国々としか連携できないだろう。つまりは、大東亜共栄圏的なものでしかないということ。

ガルトゥングさんが英語で話されたことをそのまま日本語で記しました。

賛否両論あるかと思います。ただ、僕を含めて、事実を知った上で考えないといけないなあと思い、書きました。旅先でいつも感じるのですが、知らされていないこと、教わっていないことって多いんですよね。

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2006年10月27日 (金)

『ベルリン・天使の詩』

ブログで知り合った方がオススメしてくださったヴィム・ヴェンダース監督の映画。

見終わった後、すごく心地よかった。優しい気持ちになれた。

“天使って何だろう”

素朴に感じた。何かわからないけど、天使を心の一部で持っていたいと思った。

戦争の悲惨さを訴える図書館の老人、ブランコ乗りの女・マリオン、事故死寸前の男、飛び降り自殺しようとする男、刑事コロンボ(ピーター・フォーク)…

すべての人に対する眼差しが優しい。映画全体に流れる美しい情景描写とフィットしている。

マリオンの言葉が心に残った。

「よくない時よ。私が私のことを話すのは」

「人生折に身をかがめるのは平気。眼差しさえ同じなら。でも、サーカスなしでは寂しい」

「寂しさって自分をまるごと感じることだから」

そうなんだよなあ、と思った。

うまくいっているときには気づかないことがたくさんある。そして、気づいたとき、人間でいることの重さを感じるのかもしれない。

天使から人間になったダミエルも言っている。

「永劫の時に漂うよりも自分の重さを感じたい」

「僕は今知っている。いかなる天使も知らないことを」

同じヴェンダース作の「パリ、テキサス」では、男女のやり取りから、人のキョリを考えさせられた。柔らかな情景描写は同じ。だけど、ちょっと違う。うまく表現できないけど、『ベルリン・天使の詩』からは強いメッセージが感じられた。

たとえば、映像。天使の姿は大人には見えないけど、子どもには見える。天使が人間になると(自分の重さを知ると?)、モノクロからカラーになる。

もしかしたら、東西を分断するベルリンの壁の存在が影響しているのかもしれない。

天使とは?この映画のメッセージとは?自分なりの答えを持ってらっしゃる方、よろしければ、コメントください☆

観られていない方はぜひぜひ。オススメですよ~

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2006年10月26日 (木)

『CLOSER(クローサー)』~メルボルンの記憶を振り返りながら

3年ほど前、メルボルンにあるオーストラリア最大のカジノ“CROWN”に行った際、観ていた。少しでも「いいなあ」と思うところがあると、パンフレットを買ってしまう俺。メルボルンにはそういう習慣がなかったのを思い出す。映画のパンフは日本やアメリカだけのものなのだろうか。

英語のできない俺にとって、字幕付きでみることは大きな楽しみだった。

「どう感じるか」

結論からいうと、そう変わらなかった。ただ、詳細がわかることにより、男の側に寄り添った見方をすることができたかもしれない。メルボルンでは、アリス役のナタリー・ポートマンに酔いしれていた。

交錯する四人の男女の思い。

アリス、ダン、アンナ、ラリーの微妙な心の動きがうまく描かれている。

職業が同じであるため、ダン役のジュード・ロウに自分を投影したのは自然だったのかもしれない。非常に胸が痛かった。惚れた女の全てを知りたがる男のサガを見た気がした。

「真実」を知るべく働くジャーナリスト。仕事でそれを体現できないからだろうか、「真実」をアンナ(ジュリア・ロバーツ)やアリス(ナタリー・ポートマン)に対しても求めてしまった。

アンナは、ダンに恋していた。しかし、医者のラリー(クライブ・オーウェン)と結婚する。常に、「安全」を選ぶ彼女を象徴していたと思う。また、ラリーの心が離れたと感じると、ダンと関係を持った。

「嘘をつきたくない」という彼女の言葉は、正直な強い女性を思わせるけど、実際の行動は、……

ジュリア・ロバーツは自分の役・アンナを振り返る。

「一番ひどいことをした私でも、彼女に比べれば素人のようなものだわ。彼女はとてもずるい。でも計算されたずるさではないと思うの」

対照的なのが、アリス。

自分の気持ちに正直に、真っ直ぐに行動する。その美しさが、新聞社でくすぶっているダンの心に火を付けたのではないか。また、愛されない医者・ラリー(クライブ・オーウェン)も惹きつける。

好きな男の前では、いい女でいたい”と思う。それを体全体で表していた気がする。

だって、愛するダンの前では偽名を、ラリーの前では本名を告げていたんだもん。ストリッパーという職業に就いていたことも、何となくわかる気がする。

当時、ジュリア・ロバーツが好きだった俺でも、ナタリー・ポートマンに惚れちゃた…

ダンとラリーに共通するのは、“惚れた女の全てを知りたがる”ところ。そこに相手の都合は入っていない。外からは身勝手と思われるだろう。ダンとラリーの汚い男同士の争いにも見える。

ただ一つ、忘れないでおきたい。彼らが女を詮索するのは、本当に相手を愛していたからだということを。

僕たち、儒教圏の人間に受け入れにくい映画かもしれません。でも、偽善がない世界を感じられる素敵な映画だと思います。ぜひ一度、ご覧ください☆

公式HPはココをクリック♪

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2006年10月22日 (日)

アートとパスタと警官と~ヴェネツィア(ベニス)④

久しぶりの更新になります。書きたいことはたくさんあるのですが、南欧旅行の続きから…

Photo_6 朝、安藤忠雄が作った美術館を訪ねる。前日のゴンドラツアーで知り合った人が教えてくれた。大運河にかかるアカデミア橋には、“Where are we going”と美術館の宣伝=写真がなされていた。日本の歩道橋にある「狭い日本。そんなに急いでどこに行く」なんかのスローガンのよう。

Pict1202_1 美術館は、「SAN SAMUELE」という水上バスの駅のすぐそば。大運河に面している。名前を確認するために、現地で買ったガイドを見るも、載っていない…。最近出来たばかりなので、ガイドに加えなかったのか、前衛芸術への反発か、あるいは日本人が創ったものは認めないのか。考えすぎかなあ。

Photo_7 入り口には、ビニール風船?で作られたワンちゃんが=写真(犬に詳しくないので、種類は、?です)。愛らしいいでたち。

入場料は10ユーロ(1500円)。高い!日本の美術館みたい。でも、そのわけはすぐにわかった。エアコン完備&人件費。気温が高かったので、非常に過ごしやすかった。

4年前に訪れたフランス・パリのルーブル美術館を思い出した。ちなみに、イギリス・ロンドンの大英博物館は暑くて、サウナのようだった。ストライキをしていて、鑑賞できる部屋も限られていた。

ヨーロッパは、石造りで湿気も少ないため、屋内は涼しい。そのため、エアコンを付けていない家や建造物が多い。環境にもやさしいし。でも、近年、温暖化の影響でエアコンなしでは過ごしにくくなっている。2003年の夏、パリでは異常な暑さのため十数万人が死亡した。そのとき、日本のエアコンが飛ぶように売れたのは有名な話。

っと、今回の旅行に話を戻して。

美術館内は、水の都・ヴェネツィアとは一線を画す。

牛を輪切りにしてホルマリン漬けにした作品、日本の公共広告機構の「いのちくん」のCM(クリックすると同じものが観れますよ☆)、反戦PRのオブジェ、宇宙をイメージしたものなど、いろんな国の作家の作品が部屋ごとに並んでいる。

なかなか、面白かった。一見の価値あり!ただ、部屋ごとに監視員がいるので、ほぼマンツーマン状態が続きます(笑)。

Photo_8 お昼は、いい感じのレストランに。イタリア滞在中に、パスタを食べなきゃというのがあった。

席に着くと、ウェイターが「英語わかる?」とメニューを渡す。話すのは苦手でも、読むのは大丈夫な典型的日本人の俺。質問されたことが悔しくもあり、「その通り」と納得する自分もいた。

Photo_9 奮発して、イカ墨パスタを注文=写真。テーブルのバスケットには、バケット一本を切ったものとスティック菓子(包装はトマトプリッツの透明版みたいな感じ)。ひとりでこんなに食べれないなあ、と思っているとウェイトレスが登場。

Bon appetit(めしあがれ)”と言う笑顔はかわいいけど、なぜにフランス語を。

カプチーノを飲みながら日記を書いていると、最後にチョコレートボンボンのプレゼント。

素敵なサービスに酔ってしまった。ウイスキーが強かっただけかも(笑)

Photo_10 左の翼のある獅子は、ヴェネツィア共和国の象徴

Photo_11 昼食後、かの有名なサンマルコ寺院へ。すごい行列だった。

バルコニーからの景色は最高!!権力の象徴、4頭のブロンズ馬像にも出会えた=写真

モザイクで埋め尽くされた5つのドームも素晴らしい。ヴェネツィア共和国の金持ちぶりを感じさせられた。

Pict1220 Pict1221

どちらの写真がいいですか?

Pict1210

本島散策後の最後に、ゲットー・ヌオーヴォ広場に=写真

イギリスのジャーナリストオススメの場所で、ぜひ訪ねたかった。

静かな広場を囲むように、高い建物が隣立する。ヴェネツィア共和国時代、ユダヤ人が住んでいた地区。限られた土地に、彼らは住むことを余儀なくされたため、自然と建物が高くなっていったという。ただ、ヴェネツィアでは、どんなに反ユダヤ感情の強い時期でも、他の西欧諸国のように、民衆によるゲットー(ユダヤ人)襲撃のような事故は、ただの一度も起こらなかった。こういうところが好きなんだよなあ。

観光客も少なく静かで、風情があります。ベンチや水道もあるので、休憩にも最適!オススメです☆

ヴェネツィアともお別れ。

Pict1229 リアルト橋

Pict1228 橋の上は市場になっている。昔は、銀行が並んでいたらしい

Pict1233 列車出発1時間ほど前に、サンタ・ルチア駅=写真に到着。船酔いしていたのもあって、スーツケースにもたれながら駅周辺のベンチで座って(眠って)いた。すると、誰かが肩をたたく。目を開けると、2人の警官が。「何をしているのだ」と高慢な態度で質問する。寝ぼけ眼で、「疲れていたから、ちょっと休んでいた。ミラノ行きの電車を待っている」と答えた。成り行きは忘れたけど、ピストルとエンブレムの確認のみでパスポートを提示していた。

目が覚めてきて、ハッとする。「こいつら本物か」

(イタリアには偽装警官がたくさんいるようです。みなさんは、ちゃんと確認してくださいね。「手帳見せてもらっていいですか」と。)

トランシーバーでのやりとりを聴いていると、本物みたい。トリノやナポリと更新していた。パスポートに入国の刻印がないことで、疑われたようもよう。ロンドンで2階建てバスの爆破事件があったように、テロリストへの警戒心は強い。

今回の旅は、パリからの入欧だったけど、入国審査官はスタンプを押さなかった。みなさん、審査官には「スタンプ押して」と要求しましょうね。

警察官と入国審査官との温度差が、腑に落ちなかった。このあたりが、ヨーロッパらしい。

そういえば、先月、友人がグアムになかなか入国できなかったとのこと。昨年、シリア・ヨルダン・エジプトを旅していた。パスポートにシリアのスタンプがあったのが、問題だったらしい。悪の枢軸とのレッテル貼りもここまでくると、あきれちゃう。

アメリカとヨーロッパの違いを感じたトピックだった。

次の目的地は南仏・アヴィニョン。

夜行列車が満席で、ミラノで一泊することに。このおかげで、ミラノぷち観光することになるのだった。

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2006年10月10日 (火)

プロフェッショナル~阪神-巨人最終戦(10月8日)から

2006年度のセントラルリーグ。久しぶりに野球に引き込まれた1年だった。

その中で、プロフェッショナルを感じさせる選手を見つけた。阪神タイガースの鳥谷敬選手と読売ジャイアンツのイ(李)・スンヨプ選手だ。

先日、テレビ観戦した阪神-巨人最終戦から、イ・スンヨプ選手を取り上げたい。

1対1の同点で迎えた10回表、1アウト1、2塁で、李に打順が回ってきた。

マウンドには、ケガからの復帰後、調子の上がらない阪神・久保田智之。

李は、インコースのストレートをたたき、ライト前に決勝のタイムリーヒットを放った。

彼のヒットで巨人の勝利と同時に、阪神の奇跡の終焉を感じた。

なぜなら、Bクラスが決まったチームの中で、ただひとり李が自身の仕事を遂げるため、全力勝負をしていたから。優勝目指す阪神の選手と同様の気迫を持っていたから。

3月に行われたWBC(北中米、アジア、欧州、アフリカ、豪州から合計16の国と地域が参加した国際大会。)では韓国代表の4番バッターとして出場。5本塁打・10打点で本塁打・打点のタイトルを獲得したほかベストナインにも選ばれた。日本で行われた1次リーグの日本戦で決勝2ラン、アメリカで行われたメキシコ、アメリカ戦でもホームランを放ち、韓国チームの勝利に貢献した。

いざというときの精神力は群を抜いている。

また、ファンのために魅せることも忘れていない。

8月1日、東京ドームでの阪神戦。阪神のエース・井川慶から2本のホームランを放つ。1回裏の日韓通算400号のホームラン、そして2対2の同点で迎えた9回裏ツーアウトでのサヨナラホームラン。

「巨人のユニホームで400号が打てるとは思わなかった。そして伝統あるチームの投手からサヨナラホームランを打てて本当にうれしい」

ヒーローインタビューでの謙虚な言葉とは裏腹に、ファンが一番喜ぶ派手なことををやってのけた。

10月8日の試合で忘れてはならないのが、一回表の巨人の先制点。李のタイムリーツーベースによるものだった。この一点で、阪神は後手に回った。デーゲームで中日ドラゴンズが逆転勝ちをしていたのも重なり、負けられないプレッシャーと戦い続けることになる。

日本では妥協という文化がある。

「阪神が負けた時点で、セ・リーグの優勝チームが決まる。だから、勝ちにこだわらず、気楽にプレーする」こう考えていた巨人の選手は多いのではないか。

しかし、李は勝ちにこだわり、全力で相手に向かっていった。

そう、妥協とプロフェショナルは相容れない。李は周りに流されない強靭な精神力を持っている。

魅せるプレー・勝利・懸命な姿を表現するのが、真のプロフェショナルだと思う。

阪神タイガースの快進撃を支えたのは、野球の聖地「甲子園」だった。ここでは、「プロ野球の人気低迷」という言葉は無縁だ。夏の高校野球でも、早稲田実業・斎藤佑樹投手と駒大苫小牧・田中将大投手の戦いを引き出した。

李が真のプロフェショナルを見せたのが、野球の聖地「甲子園」だったことは、偶然だろうか。今後の“プロ”野球へのヒントを出していると思えて仕方がない。

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2006年10月 5日 (木)

ヴェネツィア(ベニス)③~ゴンドラクルーズと至福の夜

Pict1153 午後4時45分、本島から約2キロ離れたガラス職人の島、ムラーノ島内を全力疾走していた。5時半にスタートするゴンドラクルーズに間に合うために。

ムラーノ島には、数個のヴァポレット(水上バス)乗り場がある。なのに、一つの乗り場しか船が発着していなかった(理由は、ヴェネツィア②のブログを参照)。

乗り場まで約2キロ走ったと思う。本島までの海上キョリと変わらない…

旅先では、学生時代のような体力があふれ出てくる。1日20キロ歩いたり、走りまわったり、窓口で粘り強く交渉したり。なぜでしょ?

Photo 本島到着後、迷路のような小路や運河をダッシュ。なかには、人ひとりが通るのが精一杯の路も。へとへとになりながら、待ち合わせ場所の“サンタマリア・デル・ジリオ”に着いたのは、5時50分。

そこには一人の日本人女性が。ガイドさんだった。つい十分前までツアー参加者みんなで待ってくださっていた、とのこと。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

そして、事情を話すと、「途中から乗りましょう!!」とガイドさんが機転を利かしてくれた。走っている際には、自ら交渉して乗ろうと、半ばあきらめていたので、ラッキー☆

Photo_2 日本人のツアー参加者が3隻のゴンドラに分乗していた。小運河で、一番前のゴンドラに飛び乗る。眼前には、さっそくヴェネツィアの日常が。

窓から上半身裸のおじさんが見えたり、干してある洗濯物が見えたり。小路や橋からは味わえない世界がそこにはあった。

石造りの建物の間に差し込む夕日、ゆっくり進む水辺からの景色、ゴンドリエレの技、そして2隻後ろのゴンドラからはアコーディオンの音色が。自然と、この地に心を奪われた偉大な故人(モーツァルトの家=写真)に思いを馳せた。

Photo_1

そして、ナポレオンの入城まで約1000年続いた海洋自治国家の悠久を感じた。

Photo_3 そう、ゴンドリエレにタバコを上げると、彼の気分は最高潮になった=写真。鼻歌まじりに、操縦技術を披露する姿は楽しかったなあ。

ゴンドラを降りると、この南欧旅行で一番の贅沢が。

ツアーだったので、晩御飯つき。エビがメインで、他は…

イタリアのシャンパンとトークに酔って、全く覚えていない。

鹿児島の大学で教鞭をとられている方とその親族とテーブルを囲んだ。彼らは、トリノの学会で発表した後、観光しているとのこと。

すごく心地いい時間だった。“清濁併せ呑む”こと、“いい加減に生きる(肯定的)”ことなどを教えていただいたり、現状の日本や互いの仕事について語ったり。

またいつか再会したいものだ。

フィレンツェのフェルナンド、ムラーノ島のガラス職人、そして夕食をともにした日本の方々。やはり、旅での出会いは素晴らしい。

食後、夜のサンマルコ広場を再度満喫し、最高の気分でベッドに入った。

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2006年10月 1日 (日)

背番号『7』 in 阪神タイガース

2006年度、セ・リーグの優勝争いをする両チームの最終決戦の初戦、9月29日の阪神対中日戦。

この試合は、中日の3ゲームリードで迎えられた。阪神敗戦は、セ・リーグの優勝チーム決定を意味していた。

そんな中、阪神の“背番号7”は勝利を決める一打をはなった。

阪神1点リードの7回2死満塁。試合を優勢に進めていたのは、中日ドラゴンズだった。このチャンスに点をとらないと、勝利の女神は中日に微笑むかのように思われた。

バッターボックスに入ったのは、昨年の打点王・今岡誠だった。

今シーズン当初からいっこうに調子が上がらない。チャンスに強いという今までの面影はなかった。

泣きっ面に蜂。6月17日のオリックス戦の死球によって、右手首を痛める。完治1カ月の大ケガであったので、以前からの持病であったバネ指の手術へと踏み切る。

9月17日の中日戦から1軍復帰を果たす。しかし、その後、3回の代打で全く結果を残せていなかった。

9月17日の試合の打席は、テレビで見ていた。全くバットを振らずに、3球三振。

「ボールが見えていないのかなあ」と寂しい気持ちになった。

それだけに、29日、右中間へ3点タイムリーヒットをはなち、2塁上で手をたたく背番号『7』の姿が喜ばしかった。まるで、自分のことのように。

“背番号7”にこだわるのには、訳がある。

誰にでも、少年時代、あこがれた野球選手やサッカー選手がいるんじゃないかなあ(女性のかたでもいらっしゃるかも)。俺にとっては、阪神タイガース真弓明信だった。彼の背番号が『7』だった。

親の影響で、幼いころから甲子園球場に足を運んだ。1985年の日本一も覚えている。

中高時代には、学校帰りに友人と「代打の神様・真弓」を見に行った。本当にチャンスに強い選手だった。

忘れられないエピソードがある。

1990年7月、ローカルTVの野球中継(対首位の広島戦)で、ちびっ子解説をした。

真弓選手がバッターボックスに入ったとき、「真弓選手のファンだってね。今日はどれくらい打ってほしいですか?」と実況のおじさんが聞いた。

「ホームラン3本打ってほしいです」と答えた俺。実況のおじさんと解説のはげたおじいさん(後で知ったのですが、この方阪神の元監督の後藤さんでした。未だに誰かわからにゃい)は、コメントに困っていた。我ながら、気の利かない子どもでした、ハイ。

しかーし、おじさん2人の困惑をよそに、真弓選手が、ホームランをかっとばす!!

実況のおじさまは、「願いが届いてよかったね。おめでとう!」と興奮気味。本気で3本のホームランを打つと思っていた俺は、意外に冷静だった。

当時弱小だったにも関わらず、試合は阪神の大勝。素晴らしい思い出です☆

実家の押入れに、“『7』真弓明信”と書いてあるサインボールと色紙が眠っているはず。

その背番号を受け継いだ今岡。

彼は何度も辛酸をなめている。野村克也監督時代には、不遇な時間を過ごした。

今こそ、あのときの悔しさを、苦しさを思い出してほしい。

今シーズンに活躍している、藤川球児、金本知憲、矢野輝弘、濱中治、福原忍、下柳剛、井川慶が持っていないものを今岡は持っている。

(鳥谷敬が、今岡と似ていると感じるのは僕だけでしょうか?)

普段はひょうひょうとしている背番号『7』は、いざという時、チームを助ける。

その姿を、みんなが待っている。

☆よかったら、みなさんの有名人とのエピソード、書き込んでくださいね♪

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