2007年4月12日 (木)

オーストラリアの水不足とコミュニケーション~報道ステーションから

何日前だっただろうか、メルボルンの中心を流れるヤラ川上流で、古館伊知郎が取材していた。川の水は激減。以前、ヨットレースが行われていた湖はその様相を完全に変えていた。単なる干からびた土地。

ショックだった…

オーストラリアビクトリア州にあるメルボルン。2年ほど前、約2カ月間、ホームステイで滞在した土地だ。

ヤラ川は、街の中心部を流れ、時間があると河畔で読書していた場所。

無料でバーべキューが出来る施設もあるし、川沿いにロッドラバー・アリーナがある。

そう、毎年、テニスの全豪オープンが行われ、先日、世界水泳2007(北島康介が金メダルを獲得した)が行われた場所だ。

川の雰囲気は、フランス・パリのセーヌ川に似ている。セーヌ川では、橋の欄干にまたがって本を読んでいた。かの有名なポンヌフ橋か芸術橋だったろうか。ヤラ川での読書はそのときと同じ気分になれた。

Marinerstwilly30oct04003_1メルボルンで忘れられない出来事がある。ホームステイ先(=写真)でバスタブに水を張っていたときのことだ。日本で風呂に入るのは当たり前。でも、オーストラリアでは違う!!

デンマーク人のステイメイトは、激しく怒った。

「オーストラリアには、充分な水がないの。私の故郷もそう。山がない国は世界に多いのよ。恵まれた自然を持つのに、なぜ、あなたたち日本人は無駄遣いばかりするの」

18歳の少女の言葉は胸に突き刺さった。俺を含めた日本人の身勝手さ、環境への意識の低さ、ひいては心の未成熟を知った。

20代後半の新聞記者が、高校卒業したての女の子に説教される状況は日本では考えにくい。目からうろこの言葉、貴重な体験だった。

環境教育を日本の学校はもっと行わないと。大人の人は、まず、チーム・マイナス6%から。

そして、年齢の別なく対話・議論できる場所をもっと持ちましょうよ☆

先日、デンマークの少女からメールがあった。2年ぶりだった。忙しい日々の中、連絡を取っていなかったけど、すぐに想い出はよみがえった。

しっかり話し合えば、違う文化・年齢の人でもわかりあえる。僕たちの友情は、議論の日々からうまれたのだから。その発端が、環境問題だったことを報道ステーションが教えてくれた。

世界遺産である「那智の滝の写真をプレゼントしたときの彼女の笑顔が忘れられない。

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2007年4月 8日 (日)

沖縄・離島の旅@座間味島①~民宿のお父さんとの出会い

ここ数年、毎年出かけている沖縄の離島。取材がきっかけで、南西諸島に興味を持った。今回の目的地は、慶良間諸島にある座間味島だ。

 毎度、乗りかえや待ち合わせ専用になっている那覇。

今回は、那覇の泊港からの旅だったので、少し観光することにした。

といっても、2時間…

 今まで、車窓からしか見たことがない那覇。

そういえば、モノレールが見えてたなあ。ってなことで、乗ることにした。

通称“ゆいレール”

沖縄の方言で、「ゆい」は結い=結合=共同=協働、「まーる」は順番のことみたい。

東京の山の手線や大阪の環状線もこんな感じの名前にしてもいいかも。

県庁前駅で降り、かの有名な国際通りを味わうことにした。

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泡盛やちんすこう、琉球グラスなどの土産屋からソーキそばやタコス、ラフテー などの飲食店まで通りの両側に所狭しと並ぶ。街路樹のヤシの木が沖縄情緒をただよわせる=写真

 慌しい出発だったので、秋・冬物の衣類しか持ち合わせていなかった。グラス店のお姉さんに、衣料店を紹介してもらう。

“HUB BOX”地元の若者に人気のショップらしい。

まずまずの品揃えだった。安保反対の新聞がプリントしてあったハーフパンツが印象的。

面白かったが、品の微妙さに手が伸びず。本州でも手にはいるようなものを買った。

 ウインドーショッピングの最後に、グァバとさとうきびのアイスクリームを。おいしかった♪

泊港からの高速船は何かの罰ゲームのよう。

ジェットコースターにずっと乗ってるようだった。船員のお兄さんに助けを求めると、「後ろに移動してください」。なるほど、吐き気も収まり、ゆっくり景色を眺めることができるようになった。隣で、平然と座っていたおばあさんの凄さを知った。

小さな船に乗るときは、後ろに乗りましょう!!前方は、おもいっきり波の抵抗を受けます。

 宿に着いたら、すでに日は落ちかけていた。天気が悪かったことに加え、前日(当日?)午前2時まで働いていたこともあり、旅館でのんびり過ごすことに。

 いつも離島の宿ではいろんな人に出会っていた。今回の宿は、俺のほかに30代後半のダイバー一人。内向的な(?)人だったので、なかなか話しが盛り上がらず、一人で過ごすことに。残念……

宿のお父さんが奨める泡盛をいただきながら、リビングで読書して過ごしていた。

これはこれで、優雅な時間。泡盛もうまかった!!

ソファーでうたた寝していると、大きなもの音が。はっと目が覚めた。時計を見たら、深夜1時前。ウエットスーツを着た男が、部屋の奥の闇から出てきた。

 お父さんだった。

Pict2300_1 夕方会った人と同じ人間とは思えなかった。鋭い眼差し、乱れた息づかい。

銛を片手に素もぐり。大きなイカと魚を捕まえてきていた=写真

外は嵐。海が荒れていることは容易に想像がつく。酸素ボンベも船もない漁。

狩猟といったほうがいいかもしれない。島の男の凄さを肌で感じた。

お父さんの迫力、イカの大きさに興奮したが、明日のために就寝。

そう、座間味での目当ては“ホウェールウォッチング”♪

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2007年1月26日 (金)

☆謹賀新年☆

あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願いします。

ずいぶんと更新が滞っていました。

これから、東北の旅・南欧の旅の続きなど書いていきます。ちょくちょく遊びにいらしてください。

みなさんの2007年が充実したものでありますように。

Dsc_1294 今年は、おいらの出番でい!!

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2006年12月11日 (月)

南仏の絶景、世界遺産の世界~プロヴァンス①

半月にわたる南欧の旅も半分が経とうとしていた。

アヴィニョンで迎える1回目の朝。

焼きたてのクロワッサンにコーヒー、フレッシュフルーツ。全てが美味い!!

南仏の2つ星ホテルは、気持ちよく朝を迎えさせてくれた。

城壁で囲まれた街の中を通り、さっそくアヴィニョン橋へ向かう。

途中、ツーリスト・インフォメーションでマップとガイドをもらうと、「あなたの国籍は?」と受付の女性が。英語のガイドから日本語のガイドに変えてくれた。日本語ガイドがなかったフィレンツェ、ヴェネツィアを思い出し、不思議だった…

ほうっておいても客が来る都市とそうでないところの違いかな。

Pict1287 「アヴィニョンの橋で踊ろよ、踊ろよ……」で有名なサン・べネゼ橋(アヴィニョン橋)。

橋を対称軸に位置するローヌ川、城壁都市は、絶景!!

Pict1280 ローヌ川の氾濫や戦争で破壊され、対岸まで通っていない橋に何ともいえない趣きがあった。橋の終点が川の中っていうのも面白い!

Pict1286 サン・べネゼ橋周辺には観光バスの停車場がある。それは、あまり気持ちのいいものではないけれど、近くの河畔に美しい花が!!

湿度のないプロヴァンスにあって、生き生きと咲いているラベンダー=写真。道路沿いで、バスの排気ガスもある。それに負けない生命力に感動した。

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城壁の外から階段を登って、ロシェ・デ・ドン公園へ。雄大なプロヴァンスの風景と子どもたちの笑顔に癒された。写真は、みんなちょっと緊張しちゃってるなあ…

Pict1375 そして、世界遺産としても有名な法王庁へ。ローマ法王がアヴィニョンにいたのは、旅行計画時、初めて知った。

Pict1295 新宮殿と旧宮殿があるけど、かつての栄華はほとんど感じられない。それよりも、外から見る荘厳ないでたちが素晴らしい。そういえば、内部には演劇のホールがあった。

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そう、訪ねたのが一年に一度あるアヴィニョン演劇祭の初日☆(写真は、街中にある演劇案内のポスター)

ラッキーとしか言いようがない!!

街中には、フランス国内外からやってきた数多くの劇団がデモンストレーションをしていた。夕方からの公演のPRをしてるんだね。パンフレットももらった。観たかったけど、南仏一番のお目当て“ポン・デュ・ガール”に行きたかったので、断念。でも、デモンストレーションでも充分楽しめた♪

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一番興味深かったのは、『mascarade』(仮面舞踏会)。フランス語はわからないけど、だいたいの情景が伝わってきた。ドキドキした。

さて、午後はツアーを利用して、ポン・デュ・ガールへ Allez! On va?(れっつごー)

BMWでの心地いい小旅行。日本の企業で、10年間勤めた後、妻のふるさとであるエクス・アン・プロヴァンスで過ごしているガイドの男性と老夫婦の4人旅。ガイドの男性は、三人が(俺が?)楽しんでいる様子に、配慮し続けてくれた。予定より2時間ほど長い旅になっちゃった。残業ごめんなさい…。そして、ありがとう!!

Pict1301 ポン・デュ・ガール(水道橋)への道は、ポプラ並木(アカシアだったっけ?)。忘れちゃった…

Pict1333 強い日差しの中、銀色に光る葉、街道の門番のように整然と並ぶ木々に言葉を失った。フランスの造形美は、パリだけでなく、田舎にも生かされている。

Pict1302 眼前にそびえる建築物に言葉を失う。圧倒的な存在感。

これが、2000年以上前に造られていたとは…。

美しさとともに、古代ローマ帝国の技術力に驚いた。何ていったって、全長50キロメートルで、17メートルの勾配。キロあたり、34センチ。すごい!!

当時、日本は、弥生時代。青銅器が中国大陸からやって来たころ。卑弥呼も生まれてないんだもん。

Pict1310 橋の上からアーチになっている上方の導水路を眺めてみる。歳月を経た石の姿に、思いをめぐらした。赤、黒、茶、おうど、白、見る角度からさまざまな色彩を放つ。完全に、やられてしまった… 

Pict1308 橋の壁には落書きが…=写真。日本やドイツなどでは「けしからん!!」と怒られそうだけど、これも歴史を感じさせる一つとなっている。たぶん、19世紀の建築家を志す若者が残したものだろう。

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橋を渡り、階段を上ると、水が流された橋の頂上に。ここから、たくさんの人の生活の糧が作られたんだね。

Pict1315 少し奥に行くと、地面が石灰質になる。

「行ったことがない」とガイドさん。俺が下見をすることに。山を少し降りてみる逆からのガール水道橋は、また違う味がある。個人的には、裏からの景色のほうが好き☆

ガイドさんは、「次から、コースに入れます」とおっしゃっていた。

駐車場へ戻る帰り道。

ガルドン川には、ピクニックに来た家族ずれや崖から飛び込みをする若者たちが。

日本の観光地では考えられない光景だった。「危ない」「恥ずかしい」「雰囲気が損なわれる」といって許されないだろう。よくも悪くも、個人主義。フランク(frank)王国の名残かな。

俺も混じりたかったけど、ツアーなのでがまん、がまん。後で聞いたら、今までで一番長い滞在時間だったらしい…

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2006年12月10日 (日)

東北の旅①~山奥の秘湯と銀世界の会津若松

12年ぶりの中学時代の友人との再会。その場所に選んだのは、雪景色の東北だった。

前日に東京入りし、早朝出発した。

東京では、神田神保町の古書街に初めて足を運んだ。

学生時代、京都で過ごした俺だったが、こんなにたくさんの本屋が軒を連ねている場所は初めてだった。東京での楽しみをまたひとつ見つけちゃった☆

Pict2011 友人の車に乗り、レインボーブリッジから朝日を眺める。あまりの美しさに心奪われちゃった…

気分爽快で最初に訪ねたSAには、何と、うさちゃんが!!=写真

Pict2015 佐野ラーメンという栃木のご当地ラーメンをいただいた。サービスエリアの名物品って、意外とおいしいんだよね。土産も含めて。何といっても、車外に出た後の空気が格別♪

福島県南部の観光をした後、中部・会津若松市へ。白虎隊が自決した飯盛山に行く。

Pict2032_1雪が降る中、20人の若者の心に触れる。

戊辰戦争の際、幕府軍の一員として戦った彼ら。

官軍に追われ辿り着いた飯盛山から、主君のいる鶴ヶ城が戦火に包まれているのを見て、もはや落城したものと思い自刃した。飯沼貞吉(1854~1931)氏だけが通りがかった地元の人に助けられたため、この話が知られることになったという。

現代では、ばかばかしいかもしれないけど、主君に忠誠を尽くした16、17歳=写真に思いを馳せた。飯盛山全体に切ない空気が流れていた。

Pict2036Pict2037_1 水のきれいさ日本一で有名な猪苗代湖に行くと、駐車場に鴨の群れが。さすがに驚いた。

友人に、「旅館の晩飯、鴨鍋なんじゃない?」と言っていると、当たっちゃった…

Pict2040 湖の北側にそびえる雪模様の会津磐梯山は絶景。東京への新幹線から見えた富士山も良かったけど、摂氏零度くらいの中、見るこちらは格別!!

旅館に向かう国道115号線は、全路線が雪道。吹雪のため、ほとんど前が見えない。泣き面に蜂、ところどころ凍っているところもあり、スリップあり、ハイドロあり。ハンドルを左右に振り続け、やっとのことで旅館に着いた。

新野地温泉“相模屋旅館”

Pict2049 旅館に着いたら、まずは温泉でしょ。ってなわけで、露天ならぬ野天風呂へ。

屋外に出ると、猛吹雪&零下の世界がご挨拶。さぶい、さぶい。

30メートルほどの階段道を降りたところにある温泉が見えたころには、飛び込み準備完了。湯温は熱い!!入浴後、温度差のため5分ほど震えがとまらなかった。

山形から登山仲間とやって来たおじさんは、ビールとつまみを持参。温泉の贅沢を満喫していた。乳白色の温泉は、保温効果抜群☆

入浴後は、零下の世界へ身を出しても、全く寒くなかった。ただ、湯あたりするので、注意が必要。かなり硫黄が強いので、長時間入浴してると、肌がやられます。ちなみに、帰宅後一週間の俺の顔はまだ荒れてます…

とくに、女性の方、気をつけてね!!

晩御飯は、鴨鍋・岩魚と山菜のてんぷらなど。オプションで、馬刺しと鹿刺しもつけたっけ。臭みがなくて、なかなか美味かった☆

翌朝、大満足で、杜の都・仙台へ出発!!

といきたいところだったけど、車が雪だるまに。さて、どうなることやら…

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2006年11月28日 (火)

いいぞ!日本男子バレー

現在、日本で行われている世界バレー。日本男子は、24年ぶりのベスト8入りを決め、さらなる飛躍へと挑戦し続けている。その原動力となっているのが、スーパーエースの「山本隆弘」。11月26日のチュニジア戦での彼のプレーを観ていると、ある選手と重なった。

中垣内祐一』。1990年代、日本バレーを支えてきたスーパーエースだ。

昨年、女子バレー・久光製薬スプリングス(落合真理、小山修加、成田郁久美など所属)の取材をした際、監督の真鍋政義さんと話した。

真鍋さんは、新日鉄堺・堺ブレイザーズで、中垣内にトスを上げ続けていた。ご自身は、ソウル五輪、86・90・98年の世界選手権(現世界バレー)に出場なさっている。

「中垣内さんと真鍋さんのコンビは、脳裏に焼きついています。他の日本代表のアタッカーにトスを上げるときと比べて、違いはありましたか」との問いに、彼は答える。

「特に変わりはありませんよ。ただ、ガイチ(中垣内選手のニックネーム)はどんなトスでも決めてくれましたね。僕のミスをよくカバーしてくれましたよ」。

バルセロナオリンピック。

金メダルを期待されていた、中田久美や大林素子をようする女子とは対照的に、男子は予選突破も難しいとみられていた。メンバーには、中垣内の他に、荻野正二(現代表)、植田辰哉(現監督)がいた。

予選リーグで、アメリカ戦敗戦後、審判の誤審に対する日本の抗議が認められ、日本の勝利になったオリンピック。その裁定後、審判への抗議として、アメリカの全選手がスキンヘッドになったのを記憶していらっしゃる方は多いのでは?

当時の中垣内は、本当に凄かった!!

会場から「ガイチ、ガイチ」とコールが起こる。ボールは全て、中垣内に集まる。そして、ことごとくスパイクを決めていた。

決勝トーナメント第一戦、予選をギリギリ通過した日本男子は、優勝候補筆頭のブラジル(たぶん合っていると思います)と対戦した。力の差は歴然。

しかし、苦しいところでガイチがスパイクを決める。二段トスでも、ネットに近いトスでも、背後に浮いているボールでも。

結果、日本男子は6位入賞を果たした。以来、俺は彼のファンになっていた。

そのバルセロナ五輪で、中垣内にトスを上げていたキャプテンの植田辰哉が、今は全日本の監督を務めている。

11月19日のプエルトリコ戦後の監督インタビューで彼は言った。

最後に山本が決めてくれた。それが全てです

そして、「山本には、結果がどうというより、“みんながつないだボールをオレが決める”という覇気を持ってほしい、と口を酸っぱくいってきた」と加えた。

2セット連取され、フルセットの末、大逆転勝利をおさめたチュニジア戦。山本はコート内で暴れまわった。ブロックが何枚付こうが関係ない。相手を見て、ワンタッチを狙ったり、ボールにドライブをかけてコート隅に決めたり、ブロックの間を抜いたり……。

いいトスが上がれば、確実に決めていた。

試合後、男泣きした植田監督は、「厳しい練習を耐えて来た選手たちを誉めてあげて欲しい」を語った。そして、思う。あの涙には、たのもしい選手への感謝が込められていた、と。

きっと、試合中に何度も山本と中垣内が重なったんだろうね。

エース・山本隆弘への期待はふくらむばかり☆

みんなで応援しよう!!

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2006年11月27日 (月)

『新庄剛志』~サービスの人

実家で食事をとっていると、“ビストロSMAP”に新庄が出ていた。普段、バラエティ番組をあまり見ない俺だけど、ハマってしまった。やっぱり、やつは面白い。

「今後もみんなをあっと驚かせることを続けていきたい」

プロ野球パ・リーグ、北海道日本ハムファイターズの本拠地・札幌ドームでの引退会見。日本一から一夜明けた10月27日、新庄剛志選手は球団が用意した会見場の使用を拒否し、マウンドで報道陣の質問を受けた。らしいなあ~

SMAP×SMAPでの彼は最高だったけど、まだまだ準備段階のはず。

中高時代、学校帰りに友人とよく甲子園に行った。もちろん、阪神ファン。

「弱小タイガースを応援して、勝たせる」のが楽しかった。事実、俺が行った試合はよく勝った。そういえば、大学生時代(定位置をキープしてた時代です)、13連勝(約3年間)したこともあった。

ライトスタンドから彼の守備を見るのが楽しかった。矢のような送球や打球の落下地点への到達速度、打者ごとの守備位置、ダイビングキャッチ、そして、チャンスに強い打撃。

彼のサヨナラホームランを、2回以上は目撃している。元巨人の石毛博史(近鉄、阪神でもがんばってたなあ。彼のブログはココをクリック☆)からレフトスタンドポール際に運んだもの、雨の試合でバックスクリーンに叩き込んだもの…

タイムリーヒットやホームランを打った後、センターの守備に着くと、新庄コールが起こる。ライトスタンド、レフトスタンド、アルプススタンド…。彼はその全てに応えていた。俺たち観客に気をとられていたため、センターフライに追いつけないこともあった。

そういえば、普通のフライなのに、わざとスタートを遅らせて、ダイビングキャッチをしていたなあ。

とにかく、サービス精神旺盛!!

日本一が決まった後、「忘れられない出来事は?」と問われ、彼は答えた。

「1997年のオールスターゲーム。僕が打席に立つと、応援がボイコットされ、外野席からペットボトルとかビール缶が投げ込まれた。このとき感じた寂しさというのは、とても言葉ではあらわせない」

実は、この試合に足を運んでいた(当時、西武の松井稼頭央選手<今はコロラド・ロッキーズ、公式HPココをクリック☆>がMVPをとっていた)。3塁側の内野席で観戦していた。

このシーズンの新庄はとても成績が悪かった。シーズン中、甲子園で何度野次ったことか。でも、ファン投票で選ばれた彼への応援団の態度には強い違和感を覚えた。ファンのために出場した彼に、あまりにも酷じゃないか…

弱い阪神へのストレスを新庄に対してぶつけているようにもみえた。

ボロボロになって野球選手を終えたくはない。まだできるのに……って言われながら辞めたい

3年後にFA資格を取ったら、日本に戻ってプレーするのも選択肢だと思っている

彼が、阪神タイガースからニューヨークメッツに移籍した直後に出版した『ドリーミングベイビー』という自伝の中の言葉。

引退後、読み返してみたら、まさに有言実行じゃん☆

これから新庄が何をやらかすのか、目が離せない!!

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2006年11月17日 (金)

プロヴァンスへ~南欧・列車の旅

Pict1272 サッカー選手の三浦知良(カズ)が、日本人で初めて世界最高峰のリーグ、イタリア・セリエAに挑戦した土地ジェノヴァ。ミラノからの列車は、30分ほど駅に滞在していた。列車の窓からは、新旧混じった美しい街並みが広がる=写真。確か、アメリカ大陸を見つけたコロンブスの生まれ故郷でもあったっけ。

6人のコンパートメントでの移動。イタリア語を話す5人と日本人の俺。中学生くらいの女の子は雑誌に夢中だったけど、他の4人は会話が絶えない。ジェノヴァまでは、睡眠不足解消にちょうどよかった。目覚めてからがいけない。会話に入れない…

旅行前、『幸せになるためのイタリア語講座』(オススメですよ~♪)というデンマーク映画を観たことで満足していたので(?)、ほとんど勉強しなかった。

なので、

景色を眺めたり、読書したり、自分の世界に入っていた。

途中から、ジャンヌというおばさまと二人になった。

英語で話しかけるも、ほとんどわからない模様。電子辞書、日英伊辞典、そしてボディランゲージを駆使して、会話を試みた。ちなみに、おばさまはフランス語ならわかるらしい。

フェラーリやマセラッティの生産地であるモデナ出身。会社の事務員をしている。ニースへバカンスに向かっていて、友人(?)と待ち合わせをしている、とのこと。

俺の職業を伝えると、「イタリア語やフランス語ができないのに、南欧へ来ているの?仕事で来たの?バカンスでもたいへんでしょ」と驚いていた。

そして、お互いが共通の言語を持たないことに、ストレスを感じた。

「会話って難しいね」とふたりでしんみり。

いつの間にか列車はニースへ。15分遅れで到着。マルセイユ行きに乗り換え。

日本の旅行会社は、ニースでの乗り換え10分弱のチケットを発行しようとしたけど、40分後の列車のチケットをお願いしていた。予想通り!!よかった、よかった。

案の定、俺が乗ったマルセイユ行きTGVには、乗り継ぎに失敗した乗客がたくさん。

料金を徴収する車掌を前に、頼みこむ若い婦人(たぶん10代)がいた。

フランス語なので詳細はわからないけど、「今、手持ちが足りない。赤ちゃんがいるし、どうかマルセイユまで行かせて。遅れたのはあなたたちなんだから、お願い、お願い」といった感じだった。30分ほど、やりとりがあって、彼女は支払いを免れた。

これは、フランスではよく見かける光景で、彼らは徹底的に自分の意見を貫く。列車の切符売り場でも、美術館の入り口でも、スーパーマーケットのレジでも。後ろに人が並んでいようが関係ない。また、例外が認められることが多々ある。事情を理解してくれた場合や人間として(?)受け入れられた場合、しつこさにうんざりされた場合などなど。

良くも悪くも個人主義。全てを杓子定規にかけなかったり、率直であったりするところは、けっこう好き☆

Pict1273 そういえば、マルセイユ駅(=写真)に到着すると、荷物の多い婦人を見て、乗客のみんなが赤ちゃんの乗ったべビーカーを運んでいたなあ。心温まるトピックだった。

Pict1447 アヴィニョンTGV駅からアヴィニョン・サントル駅へはシャトルバスで(新横浜―横浜、新神戸―神戸みたいな感じ)。

サントル(中央)駅に着くと、アヴィニョンの街を囲む城壁が見える。夜も更け、ライトアップされている姿は美しい限り。駅から1キロ以上はなれたホテルへの石畳の道は険しかったけど、南仏に着いた感動が後押ししてくれた。

ホテルに到着。二つ星だけど、イタリアとは全く違った。英語は完璧に通じるし、ホテルは綺麗。部屋に入ると、ダブルベッドで、しかも大きなバスタブ付き!!

風呂上りに、軽くワインを飲んで、ばたんきゅー♪

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2006年11月 9日 (木)

ミラノ~モードの街の朝を体感♪

ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅で、マルゲリータをほおばりながら、ミラノ行きの列車を待つ。いろいろあって、お疲れモード(ヴェネツィア④を見てください)。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅では、定刻になってもヴェネツィア行きの列車が発車ボードに表示されなかった。色んな人に聞いたけど、「I don’t know」「I cannot speak English」の答え。かなりパニックしたなあ。

結局、列車の到着が20分ほど遅れたため、掲示板に到着ホームを記せなかったというオチ。

ミラノ行きの列車くんは、数分遅れたものの、素直だったので助かった☆

ただ、ご機嫌ななめだったご様子。

一時間ほど遅れて、到着された。明日のミラノ出発は、午前11時。睡眠時間をとられちゃった。

ミラノ中央駅には夜中まで開いてるスーパーマーケットが!こういうのが旅行客には助かるんだよなあ。そして、さすがはミラノ!日本人の女の子のパーティを見かけた。たくましい(?)彼女たちは、半ダースが梱包されている水入りペットボトル(1.5ℓ)の束を分解。それぞれ1本買っていた。俺もそのおこぼれにあずかることに。

「ミラノの周辺の地図はわかりづらい」「ミラノのタクシーはストライキ中」「駅からホテルまで数時間かかった」旅で出会った日本の方の言葉。

確かに、地図は間違ってたけど、すんなりチェックイン。アメリカンタイプの大きなホテル。日本のビジネスホテルと違うのは、バスタブがないことくらい。今回の旅で初めてエアコンと出会った。でも、なんか…なんだよね~。

時間がないので朝食を抜く予定だったけど、空腹には勝てず…

地下のレストランに行くと、アジア系の人たちがたくさんいた。そういえば、カプチーノを注いでくれたウェイトレスさんは、東南アジア系の女性だった。

Pict1266_1 腹ごしらえをしたところで、地下鉄でドゥオーモへ。

通勤時間帯だった。日本ほどじゃないけど、地下鉄は満員。モードの街だけあって、ビジネスマン・ビジネスウーマンはおしゃれだった。

Pict1235 ゴシック建築の最高傑作を楽しみにしてたけど、工事中。しかも、屋上への階段は9時(だったかな?)にならないと開放されない。うーん、残念。

Pict1236    横からの姿はさすがに美しい

中に入ると、気分は一変。美しいステンドグラスと荘厳な主祭壇に心が洗われた。

Pict1246_2 Pict1240_1

Pict1249_3 ドゥオーモ広場とスカラ座を結ぶ十字型アーケード。カフェやブティックが並ぶ

                                     

                                        

ヴェネツィアのゴンドラクルーズで知り合った方オススメのスフォルツェスコ城へ。

Pict1253 地下鉄の駅を登ると、目前に茶色い城が。まるで、クリスマスケーキの上にあるフエハウスのよう。

入り口のあるカステッロ広場の周りには、日常の時間が流れている。会社へ急ぐビジネスマン、通学のためバスを待つ学生、信号待ちする車の群れ…

城とのギャップが印象的だった。

Pict1258 城の中が市立美術館になっていたけど、通過してセンピオーネ公園=写真を臨む。

ここで時間切れ。お目当ての『ロンダニーニのピエタ』(ミケランジェロが死の直前まで彫り続けていた)は観れなかったけど、まあいっか。帰り際、遠足(課外授業?)の小学生と行き違えた=写真

Pict1263 Pict1256

さあ、南仏・アヴィニョンへ。経路は、ミラノ→ニース→マルセイユ→アヴィニョン。

チケットがとれなく、乗換えが多くなった。

Pict1267 大理石をふんだんに使った美しいミラノ中央駅=写真で、列車を待つ。

Pict1269 ミラノ中央駅構内

お気に入りの写真です

いつも困らせる駅の掲示板。今回は、「NICE」を目的地にするものが表示されていない。

チケットにある番号の列車の目的地は「GENOVA(ジェノヴァ)」になってる…

列車のホームに行き、車掌に尋ねると、「これはNIZZAに行くよ。ジェノヴァで列車を切り離すから、行き先がGENOVAになってるんだ」

なるほど!

NIZZAは、ニースのことみたいです。VENEZIAが、ベニス(英語)なのと同じ。

イタリア。最後まで、惑わせてくれた。さすがに奥が深い…

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2006年11月 7日 (火)

『僕の歩く道』

ずっと観たかったドラマ。先週、初めてテレビに向かう時間を持てた。

自閉症という脳の機能障害を持っている男性・大竹輝明を、草彅剛は見事に演じていた。

動物園での飼育係の仕事帰り、松田都古(香里奈)と輝明は、屋台でやきいもを買う。

二人は、ベンチに座ってやきいもを食べようとしたんだけど…

輝明は、都古に気が回らない。やきいもを買うときは自分の分だけ、ベンチに座るときは自分の座る場所の落ち葉だけ掃除する。普通なら、気分を悪くするところを、幼なじみの都古は、優しい目でみていた。

学生時代、喫茶店でアルバイトをしていたときのことだ。

常連のお客さんに自閉症の方がいた。テーブルで、新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりする仕草は、健常者そのものだった。ただ、料金を支払いにレジに来ると、よく混乱された。小銭入れから硬貨全部を出してもらって、そこから料金分だけいただいたり、ヨーロッパのカフェと同じように、テーブルに料金を置いてもらったりしていた。彼は、人と接するのが苦手だった。

先日、「広島国際平和会議2006」に出席したときには、強い違和感を覚えたトピックが。

ダライ・ラマ14世(中国共産党軍の侵攻などにより、悪化し続けていたチベット情勢を打開すべく、チベット全土をアジア内陸部における平和の聖域とする「非暴力地帯」の構想を発表。1989年にノーベル平和賞を受賞)の講演のときのことだ。

「自我ばかりではなく、他人の立場に立つ必要がある」と、彼はおっしゃっていた。その中で「今の日本の若者の多くは、部屋の中に一日中こもっていると聞く。いわゆる『引きこもり』もっと外に出よう。」というメッセージを、英語で話された。

しかし、通訳の女性は、いわゆる『自閉症』と訳された。

世間一般に、誤解やステレオタイプが広がっているんだなあ、と肌で感じた。

『自閉症』は、は空間認知力や視覚認知・言語能力の発達が遅滞する脳の発達障害の一種で、先天的なもの。LD(学習障害)やADHD(多動性障害)、アスペルガー症候群を含めると、3%以上の人がこの種の障害を持っている。小学校の1クラスに、1、2人いることになるんだよなあ。

色んな困難や病気に直面して(後天的に)起こる「引きこもり」や「うつ」と違うことをみんなが理解しなければならないと感じる。

エジソンやアインシュタイン、ゴッホ、織田信長など過去の偉人もADHDだったのではないか、と言われている。自閉症の人は、ユニークな能力を持っていて、後世に欠かせない素晴らしい業績を残す可能性を持っている。

ドラマの中でも描かれている。輝明は、ツール・ド・フランスの歴代優勝者を全員覚えていたし。

いつものように、仕事帰りに輝明と都古がベンチに座っていると、雨が降ってきた。別れた恋人(葛山信吾)からの電話が鳴り続け、こらえきれず、都古は雨に打たれながら泣き出した。輝明はそっと自分の傘に都古を入れた。何かを感じたんだろう。観ていて、すごくうれしかった☆

都古や輝明の母(長山藍子)のような人が増えればいいなあ。描き方を見ていると、このドラマが輝明を温かく見守っているのがよくわかる。きっと、俺を含め、みんなが「自閉症」を理解する、そして温かい心を持つきっかけになるよ。今晩の放送が楽しみ♪

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